箱とラジカセとぼく

思ったこととか思ったこととか書きます。くだらないことしか書いてないので気をつけて読んでください。記事に関する意見はTwitterでも受け付けてます。ID:@senedesumusu_

我慢の話

何でもかんでも正直だったり、我慢すればいいってもんじゃないって話。

 

 

どうも、先日上司から勘違いで怒られ、その後誤解が解けるも上司から何の謝罪もなかった僕です。おはようございます。

 

子供のときに友達のコンプレックスをバカにして怒られれば「だって本当のことだもん」とか「はいはいそーですか」と悪びれなく言ってた奴全員死ね。死んで詫びろ

 

本当のことだったら何でも言っていい←???

上に書いたようなこと、みなさんも言われた覚えはありませんか。もしくは言った覚えがありませんか。言った覚えがあるやつは当人に向かって土下座をしながらバク宙して死ね

 

たとえば、背が高くて体が細いことがコンプレックスだった少年Aがいたとしましょう。

そんな少年Aにある生徒は「なぁ、お前のあだ名『ガイコツ』と『ゴボウ』、どっちがいい?」と聞きました。

問1、さて、少年はどんな気持ちになったでしょう

 

 

 

 

正解は「心から不愉快で嫌な気持ち」でした。これがわからない人は幼稚園から出直して先生に「ひとのいやがることはやめましょう」と教えてもらいましょう。これがわからないような人はおそらく人という漢字も読めないような低能なのでひらがなで書いてあげました。気遣いってこういうことなんですね。

 

当然その質問をした生徒は先生に怒られました。そしたらその生徒は

だって本当のことじゃん」と言い放ちました。

その言葉で少年Aはまたまた傷つきました。確かにそれは本当のことだからです。

でも先生は「言っていいことと悪いことの区別もつかないの!?」と叱りました。

 

先生、区別ついてないからそういうことになってるんです。察してください。

そうです私が少年Aです。

 

先生の言う通り、「本当のことだったら何を言ってもいい」というのは間違っています。本当のことだということは問題ではなく、ただ単に人が不快なだけだからです。そもそも、その「本当だったら何を言ってもいい」という根拠はなんなんでしょう。本当のことだったら許されるという自信はどこから湧いて出てくるんでしょう。人間って不思議ですね。CSのアニマルプラネットに企画として持ち込みたいです。

 

『人間』には我慢が必要

老若男女問わず、という意味でも「人間として最低限の道徳もない自己中ドクズ生ゴミ脳みそ野郎には我慢なんかない」という意味でも使える便利な言葉です。是非みなさんも使ってみてください。

 

 人間には我慢が必要。僕が小学生の頃から感じてきたことです。

空気を読むこと・お説教を受けること・他人の非礼を代わって詫びること・人の理不尽を許すこと・自分の欲望、感情を抑えること……まぁ人間には色々あるものなんですね。

 

上に書いたように僕は勘違いで上司に怒られたまま謝罪も何もなかったわけですが、僕は相手が目上の人だということと、我慢したほうがスムーズに帰って一日を終えることが出来るというところを重視し、何も突っ込まず帰りました。

そう、我慢することの利点とは「相手との関係・状況を進行させる潤滑油となること・穏便に済ませる事が出来る」ことです。ここで僕が「いや、さっきの勘違いですよね?謝るとかないんですか?」とかバカ正直に言ってたら絶対に普通にすんなり帰れるわけがなかったのです。一時の我慢でさっさと帰宅できるならいいことだと思いますよね。

 

我慢だけすれば済むと思うなよ

だからといって我慢だけしていれば一生自分が安息できる場所は失われていきます。そらもうどんどん失われます。何も言わず我慢しているだけならただ都合のいい人形と化したことと同意義です。クソみたいな人生ですね。自分のしたいことするのが人生じゃないんですか!?!?

 

僕も中学時代は「みんなの意見を尊重してあげるのが大切」みたいな事を考えてました。確かに今でもそれは大切だと思いますが、それだけが大人の対応だなんてことはないんですよ。それだと自分の意見も何も通らなくなるしそもそも秩序というものがなくなってしまうんです。

 

 優しい先生がやる授業では生徒はふざけ倒し紙飛行機を飛ばします。規律を厳しく守らせる先生の授業では一応静かにしているものです。そういう感じです。

 

優しくすれば平和に解決というほど人間は出来ていません。調子に乗る人間はいるものなんです。歯止めがきかなくなるまで優しくしてしまったら、それはもう優しく我慢してしまった人のほうが悪いです。僕はよっぽどのバカじゃなきゃ接し方次第で人間は変わってくれるものだと思っているのでそういう結論になりました。

 

『自称正直者』というただの失礼な奴

最初に書いた奴のようなことです。もうちょっと詳しく書きたいと思います。

 

確かに日常生活でしょっちゅう嘘ばっかりついているよりかは、正直でいたほうがいいでしょう。胸の内をさらけ出す人というのは好かれるものです。ヤンキーに彼女が出来やすい理由がわかった気がしますね。リア充を憎むだけではなくそういうところから勉強するようにしようと思います。僕も反省してます。

 

 さて、上に書いたようなただのバカの話ですが、正直なのがいけないということではありません。ただ、先生が言うような「言っていいことと悪いこと」の区別がついてないいのが悪いんです。そんな奴は正直なんじゃなくてただ失礼な奴です。

要するにそいつは自分が言いたいことを言ったがために相手を貶めてただけにすぎないんです。それは正直とは何の関係もないただの失礼ですよね。

ただ、僕も昔のことを思い出すと言えないんですけど。ただのガキだった僕を叱ってくれた友達に感謝したいです。本当に。

 

正直なのは結構ですが、相手の失礼に当たらないよう「言葉選び」と「言うこと」に気をつけましょう。ってことです。

あれ?これ我慢の話するって記事じゃなくね?

 

 

何のための我慢なのかはっきりさせること

なんか我慢の話じゃなくなってきた気がするのでもう一度そういう話に戻ってきましょう。

何のための我慢か。まあ大事なことですよね。じゃないと何のための我慢か忘れてしまいそうですから。

 

例えば友達と好きな人が同じだったとしましょう。そしてその友達のためを思い、自分は我慢して友達と好きな人が結ばれたとしましょう。最後にその我慢が限界に達してソウルジェムが砕け散り魔女となってしまったら、その我慢は一体何のためにしたんでしょうか。その我慢は一体誰のためにしていたものなんでしょうか。

 

こうした「何のための・誰のための我慢か忘れる」ということは、人間にとってはすごい大きな問題なんですね。

人は我慢の目的を忘れると極端な自己嫌悪や責任転嫁をするものですから。

でもでも僕たちに出来ることは微々たるものでしかありません。当人は我慢しているのでその心の殻を破るというのは中々大変なことです。我慢すると自分で決めたことですから、他人がそれをひっくり返すのは難しいでしょう。むしろ自分自身が我慢していると気づかない人だっているんじゃないんでしょうか。尚更無理っしょ。チート級の人来ないと無理っしょ。

しかし少しだけなら何か出来るかもしれないと僕が必死こいて考えた結果、

少しだけ我慢の目的を思い出させるようヒントを与える」ということしか出来ない。と、いうことになりました。マジで微々たるものだった。絶望しかない。

さっきの例でいうと序盤の頃のマミさんみたいなもんですね。中三にしてなかなか深いことを言いますよね。僕かんどうしてました。

 

 

我慢するなら発散しろ。正直でいたいなら我慢しろ

いくら我慢して人間関係が円滑なものとなっても、我慢しているだけではいつか爆発してしまうでしょう。ソウルジェムは砕けるでしょう。ポケモンの技みたく今まで受けたダメージ分を相手に返してしまうでしょう。

でも大人となるとそうはいきません。嫌な奴と仕事しなくてはいけませんし、爆発すれば職場を追われるかもしれない。ただ我慢すればいいってもんじゃないんですよ。うまいこと我慢やストレスを逃がす方法を見つけないといけないんですよ。どこのバイブル本でも書いてあるようなこと書いてすみません。だってほんとのことだもん!こういうセリフってこういう風に使うんですよわかりましたか。

 

 

正直でいたいなら我慢しろというのは、「最低限のモラルを持って言いたいことを言おう」ということです。相談を持ちかけられて、空気も読まずに自分の言いたいように言ってれば、信用もなくなるしただのバカという烙印を押されるでしょう。

しかしある程度常識を持ち、モラルを心得ていて、相手のことを思って自分の正直な気持ちを喋って相談に乗っていれば、好感度グイングイン上がることでしょう。

ここはギャルゲーの攻略サイトではありません。ご了承ください。

 

まあ人間としての信用は上がると思います。僕はあんまり実感出来てないですけど。

 

なるべくなら人間、正直に生きたほうが得なんですね。

毎朝気持ちよく目覚められるでしょう。 

僕も「何で生まれてきたんだろう……」と苦悩することはないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

僕もエロゲーのヒロインには正直に甘えてストレス発散していこうと思います。

迷惑な話

誰しも誰かに迷惑かけてるよねーって話

 

どうも、小学校の頃「迷惑だから死んでくれ」の意味がわからず笑顔で「……?うん!」と即答した僕です。おはようございます。

 

前の記事とかと若干かぶってるところがあっても許してください。

 

誰にも迷惑かけないとか無理

よく聞きますよね。「誰にも迷惑をかけないようにしなさい」とか。親の方針としてありがちなこの言葉ですが、僕が考えるに「誰にも迷惑をかけないように生きる」とか無理だと思うんです。

だってそうじゃない?満員電車とかで絶対に足を踏まないように気をつけるとか、くしゃみをしないようにするとか無理じゃないですか!人に迷惑だと思われた時点でもうその生き方出来てないじゃないですか!まず僕という人間が生きてること自体迷惑千万じゃないですか!?!?!?

 

だから僕は親から「迷惑をかけないよう生きなさい」ではなく「人に失礼のないように生きなさい」と教育されてきました。その方が遥かに人間らしく尊厳ある生き方が出来ると説明されました。当時小学4年生の僕には難しくてよくわかりませんでしたが、とりあえずそっちのほうがいいことなんだなぁと思って生きていました。この教育の仕方をしてくれたお父さんに感謝したいです。ありがとうお父さん。糖尿病なのに父の日に板チョコ贈ってごめんなさい。意地張って食べなくても良かったのに。

 

 

自殺に迷惑かけるもかけないもあるか

ある日、僕がほのぼのとTwitterをやっているとフォロワーさんが自殺のことについて色々言ってました。話かぶっちゃってごめんなさい。

まあ要するに「残された人の気持ち考えろ」とか「自殺するなら誰にも迷惑かけんな」とかそういう感じの話です。

 

「自殺するなら誰にも迷惑かけんな」ということは僕は賛成です。せめて電車とか人の目のつくとこで自殺しないでほしい。遺族とかそういうのじゃなく、他の人のこと考えて死んでほしい。言い方悪いようだけど。

でも、「残された人のこと考えろ」はちょっとどうかなぁと思います。まあ価値観とかそういう話なんで議論しても自己満足にしか繋がらないので喧嘩腰で書くのはやめたいところです。人それぞれ。みんな違ってみんないい。私は貝になりたい

 

僕が思うに、結局「残された人のこと考えろ」とか言ってる奴は傍観者や第三者でしかなく、当事者の気持ちに立って考えるということを放棄してる気がします。

 

お前は誰だよ。私の何だよ。そう思うわけなんであります。

 

ジャイアンが言うなら説得力あるよ。お前誰だよ。名前も無いモブのくせに。

誰にも頼れない。「頼れ」っていうのは命令にすぎない。そういう思考の状態の人に対して「残された人の気持ち」なんか考えられるわけないんです。何で自分がピンチなのに人のこと考えてんだよ。悪役に追いつめられてヒロインをかばってるヒーローじゃねぇんだよこっちは。もっと心理的ピンチなんだよ。どっちかっていうとカイジ寄りなんだよ。

 

そういうことです。僕の持論からもちょっと矛盾しているようですが自殺志願者はこれからの他人のことなんて考えてる余裕はないんです。たださえ自分が辛いのになんでわざわざ人の心配しなきゃいけないのかってことです。

でも僕としては出来るなら人目のつかないところで死んでほしいと思ってます。よろしくお願いします。でもやっぱり人それぞれだから電車とかビルから飛び降りて死ぬ人のことを否定しません。その人はその人の考えがあってのことなんでしょう。それは死んじゃったら仕方ないと思ってます。

 

でもでも前の記事に書いたように人に迷惑かけて死ぬことは間違っていると思います。残された人云々の前に実質的な大勢の損害を考えないで自殺する人ってどうかなーって思うわけなんです。こんがらがってます。はい。

 

迷惑なんて無自覚にかけてるもの

自殺の話出しちゃってちょっと路線がズレた気がしますが気のせいです。

路線といえば僕電車に乗ってたんですよ。その時にケータイ見ながら待ってたんですけど、電車のドアの前に立ってることに気づかないでいたんですよ。開いたことに気づかなくて突っ立ったままだった僕を出てきたサラリーマン風情のおじさんがそっと押してくれたんです。他の人はどうかわかりませんけど押してくれたことに対しては僕は感謝しています。

 

だって僕の無自覚とはいえ引き起こしていた迷惑に気づかせてくれたのですから。おじさんはただ単に邪魔だったから除けただけかもしれませんが、僕とってはありがたいことだったんです。この場を借りてお礼を言います。ありがとうおじさん。

僕のこれはちょっと違うかもしれませんが、「黙って人の迷惑になっていることを教えてあげる・正してあげる」っていうのは素晴らしいことだと思うんでしよ。

たとえ無自覚だったとしても、それを反省すること、正してもらえることを感謝してこれから生きていくことが出来るんです。こんなにありがたいことはありません。だからあのおじさんには感謝しています。

 

迷惑とは無自覚に起こすものだと思うんです。少し考えればわかることでも、迷惑を起こす直前までそれに気づいてないもんだと思うんですよ。「ああ、確かにそうですね。すいません」と、こうなる感じ。

意図的に迷惑をかけているのは何かこう、妨害っていうか、反抗っていう感じがすると思うんです。僕の普段考えてる迷惑とはちょっと違うっていう感じなんです。ていうかそれただのクズですね。

うまいこと言えなくてごめんね。

 

注意を受け入れるかどうかで人生変わってくる気がする

 例えば、疲れて電車の床に座ってたりコンビニでしゃがんで雑誌読んでたとします。「そんなところに座ってたら迷惑だよ」って言ってくれた人がいるとします。

 

そんなときに「は、はい!すいません!」となるか、「うっせハゲ」となるかで人生が変わってくる気がするんです。

ここで素直に認めてこれから反省するか、ただ「うっせーな」って思って終わりなのかで人に好かれるか否かが決まってくると思うんですよね。

後者のような人と付き合って「こんな彼だと思わなかった!」「マナーもクソもない」みたいな体験談を聞いていると特にこういうことを考えますよね。そうじゃない?

 

打って変わって前者の人は「(ハッ、そういえばここでマナーが悪いって前に注意されたな)」と思い出し、それを訂正しようとする精神は見てて伝わりますし誠実に感じます。好感度ガンガン上がりますね。

ギャルゲーだったら二人きりのデートで遊園地に誘っても問題なさそうな感じです。あとはバイトでお金を事前を稼いでおくことが重要になってきます。隠しルートに入るまでには時間がかかりそうです。ドリクラの話ではありません

 

まあとりあえずこれで改めるかどうかで人格を決めつけられるか好感度が上がるか下がるか彼女が出来るかどうかまで決まってしまうのです。恐ろしいですね迷惑かけない力。なんかもう「彼女の作り方教えます」みたいなブロマガを購読させることが出来そうです。荒稼ぎだぜ。

 

迷惑かけたらサイテーなんだよ!

まあそういうことで統括すると、「迷惑絶対にかけないとか無理だけど人に失礼のないように生きるほうがよっぽど気楽だし正しいんだよね」ってことです。

 

既に失礼千万迷惑千万の僕にとっては心が痛む言葉ではありますがみなさんはきっと清く正しい生活をこれからも送っていくことでしょう。人間の汚い部分を見ても寛大な心で許してくれることでしょう僕のことを見てもきっと優しい目で見てくれることでしょう。そんな人間になってくれていることを僕は信じてる。人間を信じてる!

 

迷惑をかけることは仕方ないことなんだ!これを改めるかどうかが問題なわけなんですよ!

「迷惑をかけない生き方」じゃなく、「迷惑をかけたことを反省して改める生き方」のほうがよっぽど人間らしく清く正しい生き方だと思ってる。

迷惑かけないようにするのは絶対に無理なんだ。

失礼しないようにするのはいくらでも出来る。

 

これこそが僕が人生の中で信じてきた生き方です。まあ人それぞれ生き方はあると思うんで「これが正しいんだ跪けこの家畜共」と言いたいわけではありません。人それぞれが正しいと思う生き方をすればいいと思うんです。

だから戦争って起こるんですね。世界は残酷なんです。

 

 

 

 

そんな残酷な世界で僕も生きているので心優しい人が僕の口座に募金してくれることを期待してこれからを生きていきます。がんばります。がんばらせてください。

 

 

いじめの話

人間ってこえーって話。

 

どうも、先日小学校以来の友達と出会った際に思い出の中で僕がいじめられていたことをなかったことにされてました。僕です。おはようございます。

 

 

最近カゲプロのアニメ見てみたんですよ。あまりにひどいって聞いて。

うん。わけわかんなかった。唐突な3D、「!?」の連続展開に頭がついていけなかった感じがあります。なんというか、内輪ネタが多いというか、シャフトよく頑張ったと誉め称えてやりたい気分です。OPとEDは気に入りました。それで気になっちゃって友達に小説まで借りましたが小説も話がこんがらがってました。逃げ場がねぇ!!

 

なんでこんな話をしたのかというと、まあ前の記事と話かぶっちゃう出だしなんですけど「カゲプロのファンがひどすぎる」みたいなネタやら話が多くあがっていたのを思い出したからです。いつしかカゲプロのファンだからといって何らかのいじめが起こらないか心配なもんです。

 

好きなものの話 - 箱とラジカセとぼく

 

 

人間怖すぎ

前にカゲプロ関連の動画を見ていたところ、「友達にカゲプロのCD便器に捨てられた」というコメントをみかけました。これで僕は上に書いたような恐怖を感じたわけなんですよね。ていうかそれもういじめの域に達してね?

 

まあかく言う僕もいじめられてました。小中と。

周りの奴らにとっては単なる「いじり」のようなもんだと思っているようでしたが、どう考えても朝から肩パンされたりプロレス技の練習台になることがいじりだとは思えないのでたぶんこれいじめなんだと思います。

どこをどう考えたらいじりになるんだよ。誰も笑ってなかっただろ。

人間怖すぎなんだけど。もう軽く人間を知らないエルフの気分なんだけど。

 

いじめってどっからいじめ?

小学校の頃先生が言ってました。

「いじめっていうのは相手が嫌だってときからもういじめなんだよ!」と。

考えてみてもなかなか理屈に合ってるなあと思いましたね。確かに芸人はいじりられ役を喜んで請け負ってるところがあるし、いじられ役を受け入れてる奴にとっては美味しいポジションなんだと思います。

それに当てはまらなかった僕はきっといじめにあっていたんだと思います。毎日のように筆箱盗まれてたりペン投げ捨てられたりトイレに物捨てられてたりしてて、僕にはとても「美味しいポジション」だとは思えませんでした。誰かが得をしてるわけでもないし、強いていえばいじめっこたちが面白かっただけでしょう。ムカつくわー。

 

「いじめ」と「いじり」の境界線はきっと周りが決めることじゃなく、自分自身の気持ちによって決まるものなんだと思っています。自分がその立ち位置で満足し、居心地がいいなら好き勝手やらせててもいいと思います。ただし、やり過ぎだと思ったら止めることも大切です。「いじってる側」の正義感と倫理観の欠如に繋がるため、「これはやっちゃいけない」というような大切な境界線を決めておきましょう。これが所謂友達として遊ぶために大切なことの一つなのかもしれません。

 

周りの空気より自分を大切にしたほうが万倍いいことだってあるのん。

 

いじめを止めない・止められない傍観者って本当に悪なの?

「なんで友達がいじめられていて止めなかったんだ!本当にお前らは友達なのか!」って先生が怒ってるシーンがドラマであったんですけど、それって本当にその傍観者の立場になってませんよね。しょうがねぇだろそんなもん!って気分になりますよね。

 

だって怖いんだもん。酷いいじめがあってもその標的が自分になったらと考えるとそれまで幸せだった日常は崩壊してしまうかもしれないんです。そんなの恐ろしすぎる。

だから僕はこれは仕方ないんじゃないだろうかとか思うわけなんです。

誰も何もしないことを知っている。自分が標的になっても誰も何も出来ないということはわかってる。まさにそれが自分になるかもしれない。だから怖い。そういうことなんだと思います。子供ながらにして大人の社会で必要な「見て見ぬフリ」をいじめによって学ぶなんて人間って非情ね!

 

街中で喧嘩に巻き込まれてるサラリーマンがいてボコられてたとしてもみんな黙って見てるだけでした。渋谷で僕がちょっと裏路地に入ったところで不良に囲まれてカツアゲされてても「うわ〜可哀想……」みたいな視線しか向けてきませんでした。現実以上に人間は非情なんです。人間こええええ!!でもしょうがないよ!僕だってそうなるもん!みんなそれで納得してる!はず!

 

 

先生がいじめを止めるものなのか

ちょっと話ズレてた気がするのでもう一回戻ろうと思います。

確かに、職業上生徒間の問題は解決しないといけないし、それを知られれば教育者としての立場も危うくなる。でもいじめって本当に先生が仕切って先生が終わらせるものなのかなぁと思います。

 

 僕は生徒間で起こった問題は先生が解決するものじゃなく、生徒が解決するもんだと思っています。先生はどっちかっていうと「手助けをする」役割だと思ってるんですよね。だって学校ってそういうもんじゃないですか。そういうもんじゃない?

 

 ていうか、そもそも先生の人格に疑わしい点があるなら生徒が心動かされるなんて無理にもほどがあるんじゃないだろうか。生徒が「先生が何言っても全く説得力ねぇよバカ」としか思わないんじゃないでしょうか。いわゆる「お前が言うな」状態?

「人を教育する立場に置いてまずは自分を教育しなければならない」とはいつか小学校の頃いじめられっ子だった僕がつけていた日記の中で綴っていた言葉であります。

こう見ると久しぶりに会う友達に「お前声以外変わってないな」と言われるのが納得出来ます。

 

 

前に記事で書きましたが、僕も尊敬に値する大人をあまり見たことがありません。そりゃどんな人間にも汚いところはありますがそれを本人がどう捉えているかで尊敬するかどうか決めてます。認めたところで汚いものは汚いですが、否認し続ける人よりマシだと思っています。僕も過去の罪を反省して生きていきたいです。

 

幼稚園の先生に言われた「いじめの発端」

 僕、中学生の頃に「幼稚園実習」っつって幼稚園で園児と遊んで世話をするってことがどれだけ大変なのかを学ぶボランティアに参加したことがあるんです。下心などない。

 

いやぁ楽園でしたね。幻想郷はあそこにあった。まさか昔自分が嫌々通っていた幼稚園があれだけの天国だとは知りませんでした。幼稚園の頃もうちょっと女の子の手とか握ってれば良かった。でも中学の頃同じクラスだった幼稚園来の幼馴染(女)に過去に散々馬乗りにされて馬役をやってたことをすっかり忘れられていてなんだか微妙な気分になったことを思い出しました。許すまじ

 

 で、その幼稚園実習のときにクラスでいじられ役だった奴とノリの良い奴が一緒になって園児達とドッジボールをしていたんです。そのときに

おい、あいつにばんばんボールぶつけていいからなーww

「おいおいwwwやめろってーwww」みたいな会話していたんですね。

 そのとき先生の注意の言葉が飛んできた。

 

すいません!!そういう特定の人を狙ってもいいみたいな発言はいじめの発端になるかもしれないんで!やめてください!」って。

 

なるほど言われてみればそういうことになるかもしれない。意識が足りなかった僕らも悪かったが、その先生の強めの注意で楽しいお遊びムードは崩壊してしまった。

「じゃ、じゃあ続きやる、かー……だ、誰が外野だっけ?」みたいな。気まずい。

僕はこれは果たしてどうかと思う。

そりゃ教育者の立場からして真っ当な意見だとは思うが、言うならせめて僕らだけにして言ってほしかった。園児達は無用なプレッシャーを感じ「先生が怒ってる」という雰囲気を察して無駄に重い空気を吸わなければいけなかった。そこだけは許せなかった。園児に教えるにしてももうちょっとやり方というものがあるだろうと僕は思うわけなんです。

 

でも先生の言うことだって正しい。確かにそういう言い方は優越性を増幅させ見下すことを覚え「こいつだったらなにをやってもいい」というわけのわからない思考を産みかねない。人間の脳みそとは他人の発言と自身の考え方でいくらでも悪魔になれるのだ。たとえそれが子供でも。いや、子供だからこそなんだろう。やっぱ人間こええ。

 

救ってくれる人がいれば万々歳

 僕、少女漫画の「いじめ」っていう漫画を何回か読んでるんですよ。妹が読んでてそれを。一話読み切りのタイプの漫画なんですが、それで気になってる展開が「毎回必ず誰か勇気のある人が助けてくれる」というアンパンマンも驚きの活躍ぶりをみせる友達・クラスメイトが必ず登場して、主人公を助けてくれて、それで主人公も勇気をつけていじめっこを見返す。というなんとも気持ちのいいメシウマ展開です。まあ読者対象が幼い少女なのであんまり現実見せちゃいけないとは思うのですが、やっぱり僕が読む分には辛すぎる内容なんです。

 

だって僕は小学校の頃いじめられていて、誰も何もしてくれなかった。助け舟を出してくれる人なんかいなかった。

これが現実なんだとわかっていてもやはりこういうものを読んでいると別の意味で涙腺が緩んできます。まあこういう話すると決まって「不幸自慢乙!不幸自慢乙!」と言ってくる人がいるのでリアルでは絶対言わないようにしてます。ここで言ってたらあんまり意味ないように見えるけど、それだとブログ始めた意味がよくわからなくなってくるのであえて堂々とボソボソ言うことにします。

 

漫画のように誰かが救世主となって助けてくれたのなら、土下座して結婚するくらいはしてあげてもいいほど感謝すべきだと思います。

誰だってなんだって救いがある、救ってくれる存在がいるというのは嬉しいものだと思います。救ってほしいと思ってない人以外は。

勘違いしないでほしいのが事態を解決しなきゃいけないのは結局自分自身だということです。でも世の中強い人ばっかりじゃない。解決しないで耐えるタイプの人だっていると思いますが、そういう人も救ってくれる人がいれば、いないよりずっとマシに生活出来ることでしょう。羨ましい。

 

 

救ってくれる人がいないのも至極当然のことと言えます。元々人間は非情なものであり、自らの不幸を顧みずいじめられている人を助けてくれる人なんてごくごく少数だということを頭に叩き込んでおいてください。人間みんな産まれて生きて死ぬまで一人なんです。人生というゲームをプレイ出来るプレイヤーは結局自分以外にいないんです。そう考えれば、自然と生きることが苦痛じゃなくなってきます。自分はそうでした。

 

 

今いじめられている人はとことん孤独になって、自分は世界に一人きりだという生活を楽しんでみてください。つらくなったら無理はせず周り人間に助けを求めてください。リアルバーチャル問わず。つらくなるということはこの方法が合わない人間だということですから。

 

ちなみに僕は今自分の人生というゲームを無駄にダラダラとプレイし続けてろくに経験値もたまっていずいつまでたってもレベルアップ出来ないままですがこれからなんとかなります。たぶん。きっと。俺達の戦いはまだまだこれからだ!