自分が頑張ったことはどう報われていくのかなって話。
おはようございます。僕です。
人は色々と努力していますが、それは報われるために努力するんだと思います。だったらどうやって人は報われていくのかなって考えました。
人はなぜ努力をするか
上にも書いてある通り、「報われるため」だと僕は思ってます。でも世の中には「努力することが大切なんだ。結果はどうあれ努力したことは無駄にはならない」と言ってる人もいます。じゃあなんのための努力だったんだよ。
僕はそういう「努力した分は報われる説」は否定したいと思っています。
仮に陸上競技の大会で優勝するために努力して、優勝できなかったとします。
それで「努力したことは無駄にはならない」とか言われても腹立つだけだと思うんです。「でも優勝は出来なかったんだろ?」ってことですよ。
確かに伸ばした体力と足は無駄にはらならないでしょうが、それは何のための努力だったんでしょう。陸上の大会で優勝するためじゃなかったんですか。
無駄にしたかどうかを気にしてるんじゃない、努力したのに優勝できなかったことが悔しいんだ。ってそういうことです。
これは「報われた」と言っていいんでしょうか。人によってそれぞれでしょうが僕はよくないと思うんですけどね。
報われるってなんだよ
一言で言えば「人それぞれ」です。
ある人は一杯のビールのために働いてると言い、ある人は週末のアニメのために働いてるという。何をどうすれば「報われた」と感じるかは人それぞれだと思います。上に書いた人は「優勝のために陸上で努力してた」という感じです。
このように誰がどのようなことをどれだけすれば満足するという努力の報酬のようなものは人それぞれです。「自分へのご褒美」的な。
自分のやりたいことを努力して成し遂げた。
それはもう報われたってことじゃないですか。
でも世の中には「◯◯ができたんだから十分報われた」とかいう人がいます。
俺の報酬をお前が決めるな。
ちょっと「ん〜?」ってなりますね。会社の仕事とかならまだしも、上に書いたような陸上競技のようなやつはキレるんじゃないでしょうか。あれは結局自分との戦いなわけですから、負けたか勝ったかを決めるのは自分なんです。僕が「あいつに勝てたんだから上出来だ」なんて言われたら「でも負けたんだ!!」ってキレると思います。だってむかつくもん。仕方ないやん。
努力すれば何を許される
昔のドラマとかで「俺は父親だぞ!!一家を支えているのは俺なんだ!!いうことを聞け!!」っていう感じの父親が出てきますけど、僕は昔の亭主関白文化は嫌いでした。亭主だからなんだって感じ。
確かに一家を支えているのは父親でしょうが、だから横暴が許されるというわけではないと思います。そういう亭主は家族をなんだと思っていたんでしょうか。
「自分はこんなに努力したから、◯◯は許される」ということは「報われる」ということではありません。ただ単に自分を正当化しているだけです。
努力すれば人を不愉快にしていいわけじゃないし、「こんなに頑張った」は人を不愉快にしている自分を正当化する言葉ではありません。
そういう人は「自分は頑張っているから人を不愉快にしている」という意味不明な理論を自ら宣言していることと同じです。
そういう人と対峙したら早めに議論を諦めましょう。喋るだけ無駄です。時間もエネルギーも。
努力が必ず報われるわけじゃない
ちょっと話戻るようですが、努力すれば必ず報われるわけじゃないんです。
もし必ず報われるなら僕はいっぱい友達がいたことでしょう。僕が証人です。
僕も友達を作る努力をしました。積極的に人に話しかけたし、笑ってみせたし、人に同調して馴染めるよう努力してきました。まあ結果変な嫌がらせみたいなのに遭っちゃったんですけど。
そういうことです。ゲームでは報酬のラインが明確に決められ、そのラインを越えれば報酬がもらえる、報われるってことです。一方現実は人間のそれぞれの基準で合格ラインを決められ、自分がどれだけ努力すれば届くのか、どれだけ頑張れば報われるのかが不明瞭です。
その不明瞭さが「努力が報われない」と言われる原因だと思います。
人の決めるラインは常に曖昧で自分の努力が足りなかったとわかる基準はありません。「届かなかったということは努力が足りないということだ」みたいな言葉をよく漫画で見ます。基本的にまあそうだねってなって希望がまた沸いてきて再チャレンジして成功、みたいなパターンが多いですが、現実では「僕はこんなに頑張ったのに努力が足りなかった?」っていう思考に落ちるんじゃないかと思います。
限界まで努力してそれで足りないと言われれば、道は「挫折」か「自殺」くらいしかないですね。
これ以上どう頑張れって言うんだ。
これ以上どう努力しろって言うんだ。
僕はどうなったら努力が報われるんだ。
つらい。死にたい。まぢ病み。リスカしょ。
こんな感じになるくらいだったら僕は努力をやめます。
頑張るのは結構ですが自分の限界を見極めることも大切なんです。
壊れてからでは修復はできません。悪くても壊れかけで止める必要があるんです。
諦めが肝心、改めてそう思った。