箱とラジカセとぼく

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いじめの話

人間ってこえーって話。

 

どうも、先日小学校以来の友達と出会った際に思い出の中で僕がいじめられていたことをなかったことにされてました。僕です。おはようございます。

 

 

最近カゲプロのアニメ見てみたんですよ。あまりにひどいって聞いて。

うん。わけわかんなかった。唐突な3D、「!?」の連続展開に頭がついていけなかった感じがあります。なんというか、内輪ネタが多いというか、シャフトよく頑張ったと誉め称えてやりたい気分です。OPとEDは気に入りました。それで気になっちゃって友達に小説まで借りましたが小説も話がこんがらがってました。逃げ場がねぇ!!

 

なんでこんな話をしたのかというと、まあ前の記事と話かぶっちゃう出だしなんですけど「カゲプロのファンがひどすぎる」みたいなネタやら話が多くあがっていたのを思い出したからです。いつしかカゲプロのファンだからといって何らかのいじめが起こらないか心配なもんです。

 

好きなものの話 - 箱とラジカセとぼく

 

 

人間怖すぎ

前にカゲプロ関連の動画を見ていたところ、「友達にカゲプロのCD便器に捨てられた」というコメントをみかけました。これで僕は上に書いたような恐怖を感じたわけなんですよね。ていうかそれもういじめの域に達してね?

 

まあかく言う僕もいじめられてました。小中と。

周りの奴らにとっては単なる「いじり」のようなもんだと思っているようでしたが、どう考えても朝から肩パンされたりプロレス技の練習台になることがいじりだとは思えないのでたぶんこれいじめなんだと思います。

どこをどう考えたらいじりになるんだよ。誰も笑ってなかっただろ。

人間怖すぎなんだけど。もう軽く人間を知らないエルフの気分なんだけど。

 

いじめってどっからいじめ?

小学校の頃先生が言ってました。

「いじめっていうのは相手が嫌だってときからもういじめなんだよ!」と。

考えてみてもなかなか理屈に合ってるなあと思いましたね。確かに芸人はいじりられ役を喜んで請け負ってるところがあるし、いじられ役を受け入れてる奴にとっては美味しいポジションなんだと思います。

それに当てはまらなかった僕はきっといじめにあっていたんだと思います。毎日のように筆箱盗まれてたりペン投げ捨てられたりトイレに物捨てられてたりしてて、僕にはとても「美味しいポジション」だとは思えませんでした。誰かが得をしてるわけでもないし、強いていえばいじめっこたちが面白かっただけでしょう。ムカつくわー。

 

「いじめ」と「いじり」の境界線はきっと周りが決めることじゃなく、自分自身の気持ちによって決まるものなんだと思っています。自分がその立ち位置で満足し、居心地がいいなら好き勝手やらせててもいいと思います。ただし、やり過ぎだと思ったら止めることも大切です。「いじってる側」の正義感と倫理観の欠如に繋がるため、「これはやっちゃいけない」というような大切な境界線を決めておきましょう。これが所謂友達として遊ぶために大切なことの一つなのかもしれません。

 

周りの空気より自分を大切にしたほうが万倍いいことだってあるのん。

 

いじめを止めない・止められない傍観者って本当に悪なの?

「なんで友達がいじめられていて止めなかったんだ!本当にお前らは友達なのか!」って先生が怒ってるシーンがドラマであったんですけど、それって本当にその傍観者の立場になってませんよね。しょうがねぇだろそんなもん!って気分になりますよね。

 

だって怖いんだもん。酷いいじめがあってもその標的が自分になったらと考えるとそれまで幸せだった日常は崩壊してしまうかもしれないんです。そんなの恐ろしすぎる。

だから僕はこれは仕方ないんじゃないだろうかとか思うわけなんです。

誰も何もしないことを知っている。自分が標的になっても誰も何も出来ないということはわかってる。まさにそれが自分になるかもしれない。だから怖い。そういうことなんだと思います。子供ながらにして大人の社会で必要な「見て見ぬフリ」をいじめによって学ぶなんて人間って非情ね!

 

街中で喧嘩に巻き込まれてるサラリーマンがいてボコられてたとしてもみんな黙って見てるだけでした。渋谷で僕がちょっと裏路地に入ったところで不良に囲まれてカツアゲされてても「うわ〜可哀想……」みたいな視線しか向けてきませんでした。現実以上に人間は非情なんです。人間こええええ!!でもしょうがないよ!僕だってそうなるもん!みんなそれで納得してる!はず!

 

 

先生がいじめを止めるものなのか

ちょっと話ズレてた気がするのでもう一回戻ろうと思います。

確かに、職業上生徒間の問題は解決しないといけないし、それを知られれば教育者としての立場も危うくなる。でもいじめって本当に先生が仕切って先生が終わらせるものなのかなぁと思います。

 

 僕は生徒間で起こった問題は先生が解決するものじゃなく、生徒が解決するもんだと思っています。先生はどっちかっていうと「手助けをする」役割だと思ってるんですよね。だって学校ってそういうもんじゃないですか。そういうもんじゃない?

 

 ていうか、そもそも先生の人格に疑わしい点があるなら生徒が心動かされるなんて無理にもほどがあるんじゃないだろうか。生徒が「先生が何言っても全く説得力ねぇよバカ」としか思わないんじゃないでしょうか。いわゆる「お前が言うな」状態?

「人を教育する立場に置いてまずは自分を教育しなければならない」とはいつか小学校の頃いじめられっ子だった僕がつけていた日記の中で綴っていた言葉であります。

こう見ると久しぶりに会う友達に「お前声以外変わってないな」と言われるのが納得出来ます。

 

 

前に記事で書きましたが、僕も尊敬に値する大人をあまり見たことがありません。そりゃどんな人間にも汚いところはありますがそれを本人がどう捉えているかで尊敬するかどうか決めてます。認めたところで汚いものは汚いですが、否認し続ける人よりマシだと思っています。僕も過去の罪を反省して生きていきたいです。

 

幼稚園の先生に言われた「いじめの発端」

 僕、中学生の頃に「幼稚園実習」っつって幼稚園で園児と遊んで世話をするってことがどれだけ大変なのかを学ぶボランティアに参加したことがあるんです。下心などない。

 

いやぁ楽園でしたね。幻想郷はあそこにあった。まさか昔自分が嫌々通っていた幼稚園があれだけの天国だとは知りませんでした。幼稚園の頃もうちょっと女の子の手とか握ってれば良かった。でも中学の頃同じクラスだった幼稚園来の幼馴染(女)に過去に散々馬乗りにされて馬役をやってたことをすっかり忘れられていてなんだか微妙な気分になったことを思い出しました。許すまじ

 

 で、その幼稚園実習のときにクラスでいじられ役だった奴とノリの良い奴が一緒になって園児達とドッジボールをしていたんです。そのときに

おい、あいつにばんばんボールぶつけていいからなーww

「おいおいwwwやめろってーwww」みたいな会話していたんですね。

 そのとき先生の注意の言葉が飛んできた。

 

すいません!!そういう特定の人を狙ってもいいみたいな発言はいじめの発端になるかもしれないんで!やめてください!」って。

 

なるほど言われてみればそういうことになるかもしれない。意識が足りなかった僕らも悪かったが、その先生の強めの注意で楽しいお遊びムードは崩壊してしまった。

「じゃ、じゃあ続きやる、かー……だ、誰が外野だっけ?」みたいな。気まずい。

僕はこれは果たしてどうかと思う。

そりゃ教育者の立場からして真っ当な意見だとは思うが、言うならせめて僕らだけにして言ってほしかった。園児達は無用なプレッシャーを感じ「先生が怒ってる」という雰囲気を察して無駄に重い空気を吸わなければいけなかった。そこだけは許せなかった。園児に教えるにしてももうちょっとやり方というものがあるだろうと僕は思うわけなんです。

 

でも先生の言うことだって正しい。確かにそういう言い方は優越性を増幅させ見下すことを覚え「こいつだったらなにをやってもいい」というわけのわからない思考を産みかねない。人間の脳みそとは他人の発言と自身の考え方でいくらでも悪魔になれるのだ。たとえそれが子供でも。いや、子供だからこそなんだろう。やっぱ人間こええ。

 

救ってくれる人がいれば万々歳

 僕、少女漫画の「いじめ」っていう漫画を何回か読んでるんですよ。妹が読んでてそれを。一話読み切りのタイプの漫画なんですが、それで気になってる展開が「毎回必ず誰か勇気のある人が助けてくれる」というアンパンマンも驚きの活躍ぶりをみせる友達・クラスメイトが必ず登場して、主人公を助けてくれて、それで主人公も勇気をつけていじめっこを見返す。というなんとも気持ちのいいメシウマ展開です。まあ読者対象が幼い少女なのであんまり現実見せちゃいけないとは思うのですが、やっぱり僕が読む分には辛すぎる内容なんです。

 

だって僕は小学校の頃いじめられていて、誰も何もしてくれなかった。助け舟を出してくれる人なんかいなかった。

これが現実なんだとわかっていてもやはりこういうものを読んでいると別の意味で涙腺が緩んできます。まあこういう話すると決まって「不幸自慢乙!不幸自慢乙!」と言ってくる人がいるのでリアルでは絶対言わないようにしてます。ここで言ってたらあんまり意味ないように見えるけど、それだとブログ始めた意味がよくわからなくなってくるのであえて堂々とボソボソ言うことにします。

 

漫画のように誰かが救世主となって助けてくれたのなら、土下座して結婚するくらいはしてあげてもいいほど感謝すべきだと思います。

誰だってなんだって救いがある、救ってくれる存在がいるというのは嬉しいものだと思います。救ってほしいと思ってない人以外は。

勘違いしないでほしいのが事態を解決しなきゃいけないのは結局自分自身だということです。でも世の中強い人ばっかりじゃない。解決しないで耐えるタイプの人だっていると思いますが、そういう人も救ってくれる人がいれば、いないよりずっとマシに生活出来ることでしょう。羨ましい。

 

 

救ってくれる人がいないのも至極当然のことと言えます。元々人間は非情なものであり、自らの不幸を顧みずいじめられている人を助けてくれる人なんてごくごく少数だということを頭に叩き込んでおいてください。人間みんな産まれて生きて死ぬまで一人なんです。人生というゲームをプレイ出来るプレイヤーは結局自分以外にいないんです。そう考えれば、自然と生きることが苦痛じゃなくなってきます。自分はそうでした。

 

 

今いじめられている人はとことん孤独になって、自分は世界に一人きりだという生活を楽しんでみてください。つらくなったら無理はせず周り人間に助けを求めてください。リアルバーチャル問わず。つらくなるということはこの方法が合わない人間だということですから。

 

 

 

 

 

ちなみに僕は今自分の人生というゲームを無駄にダラダラとプレイし続けてろくに経験値もたまっていずいつまでたってもレベルアップ出来ないままですがこれからなんとかなります。たぶん。きっと。俺達の戦いはまだまだこれからだ!