ドラマやアニメでよくある、「人間そう簡単には変われないんだよ!!」という主にネガティブな意味で使われるこの言葉、僕もそう思うって話。
僕も昔から「一人になりたがるくせに誰にもいなくなってほしくない、寂しがりやの泣き虫」だった。一人になりたがっているのに、誰かがそばにいてくれないと孤独感に押しつぶされて死にそうになってしまう。そんなめんどくさい人間が僕です。これからよろしくお願いします。
僕は昔からそういう人間だったけど、幸い友達には恵まれていました。いじめられてたけど。でも、それで満足していた僕。全く孤独感なんか感じませんでした。だってすてきなお友達がいるんですもの。なんて素晴らしい生活。なんて素晴らしい人生。でも、僕も中学生になりある領域に入っていきます。そう、性を意識する思春期。人のことが異様に気になる思春期である。
これからちょっと昔話します
人生の転機という名の落とし穴
そんな中学生時代、初めての彼女が出来ました。でも半年後にフラれました。あっちから告白してきたくせに。その失恋の様子は自分のメンタルが持たなくなるので詳細は省くことにします。
僕は大抵のことなら落ち着いて喧嘩でも論議でもなんでも出来ると思っていますが、恋愛に関してはまったくのポンコツとなってしまいます。恋人のためなら悪魔にでも喜んで魂を売るようなバカ犬になっています。その代わり嫉妬深く、恋人の一挙一動全部監視していたいと思っています。感情の起伏が激しく、言うこともめちゃくちゃになってくるような自分勝手な奴です。自分で書いてて気持ち悪くなってきました。なんだこいつ。
とにかくそんな気持ち悪い僕に告白してきたあの子はよっぽどの物好きか、変態なんだと思ってた。ただのビッチだった。告白された後の僕といったら、もう、ウッヒョアァァァァァァァー!!!やったーーーーー!!やっと憧れてた少女漫画のような世界が始まるんだ!!なんて騒いでいました。初デートのときなんか待ち合わせの30分前に来てソワソワした挙げ句1時間待たされましたが、それでも来てくれて嬉しくてニヤニヤしたものです。こういうとこピュアだよね。株上がっちゃったね。
でもフラれました。
それからというもの、昔のように一人でいることが嫌になりました。友達がいても満たされないようになりました。このときから僕は本格的に気持ち悪いただの恋愛依存のモンスターと化してきたんでしょう。すごく納得できる。
このときから僕は今まで全く変わっていません。変わることが出来ませんでした。
あれから数年は経っていますが、あのフラれたときの様子は脳裏に鮮明に焼き付けられています。ていうか傷つき過ぎだろ。バカかよ。
やっぱり人間簡単に変われない。脳みそって不完全すぎる
あたしンちのお母さんに人生説かれた気がする
某お母さんが言っていた言葉を思い出しました。このセリフは普通なら笑いどころなんでしょうけど、僕にとってはハッとするような言葉でした。一部抜粋します。
「美味しいものは目の毒!舌の毒!人間一度生活を上げちゃうともう下げられないの!」(八巻より)
そういえばそうだ。「一度恋人ができた僕」はもう友達がいるだけでは寂しくてたまらなく辛くなってしまっていた。
僕は僕なので、アニメキャラみたいに「でも、恋をしたことは全く後悔してないよ。だってそれで知れたこともあったからね」なんてカッコいいセリフは言えません。僕が初めて恋人が出来る前までは、「チューとか無理。都市伝説だろあんなの」「女の子なんて何をしたら喜んでくれるかわかんないよぉ」といったようなピュアッピュアな少年でした。そしてフラれた後は女が全員信じられなくなり、誰が何を喋ってもフラれたあの人を思い出して背中に悪寒が走っていました。自分でも敏感になりすぎだと思っていました。正直気持ち悪い。恋をしたことで知れたことなんて強いて言ってもせいぜい「女の言う約束なんか便所の紙より役に立たないこと信じられないこと、自分が改めて気持ち悪いということ」です。見事に負のロイヤルストレートフラッシュ決まってる。死にたい。
それから僕は何も進歩せず、表面上はニコニコしてても、吐くほど女が嫌いになってました。今でもそうですけど。
さてここで最近の僕のツイートを見てみましょう。
「みんなで楽しむから恋愛なんだよ」
俺「え、何で?二人きりの世界で楽しく暮らしていけないの?多少の社交性は必要だとしても二人だけの世界で一緒に仲良く暮らしていくことの何がいけないの?恋愛って結局誰のものなの?当事者ってなんなの?」
— 配達員@ダンボール箱P (@senedesumusu) August 21, 2014
うわあ気持ち悪い!なんてメンヘラ臭いTwitterだろう!
でも関係ないの!なぜならこれが僕だから!
まぁ、こういうように未だに恋愛に不信を抱いている僕です。
全く変われていないという事実確認が出来ました。良かったですね。クソが
人間そんな簡単に変われない
タイトル回帰しました。前置きが長くなりすぎて嫌になってきました。この文章力のなさがあるからTwitterでもやたらツイート数が増えるんでしょう。そろそろタイトル通りの話をします。
この見出しにもあるように、人間そんな簡単に変われません。
今までの自分とはもう決別したい。実現出来る望みがあるとはいえ、門が狭い、望み薄と言っても過言ではないと思っています。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、僕の周りは僕と同じように内気なくせに他人との繋がりを求めてるような奴らばっかりです。そんな奴らに囲まれて生活していると、自然にそういう人たちの性質が見えてきました。多くあったのが無理矢理自分を変えようと努力していて、結局「変わったフリ」をしているただのやせ我慢した人になってしまったという現象を何度か見ています。そういう人たちを見て、僕は「なぜそんなにして自分を変えたいのか」ということが理解に苦しみました。自分を受け入れるという選択肢はないのか、と思っていました。
自分を見ているのが怖い
でも、変わろうとする人たちはみな、過去の自分なんか振り返ってはいませんでした。邪魔なだけなんでしょうか。僕は割と思い出を大事にしてしまっておくタイプなので、「過去は振り返らない主義」とか一生言えない性格です。
でも、過去の自分を見るのが怖い。僕はそう思っています。
「幸せな思い出は時にナイフに変わる」と荒川アンダーザブリッジのドラマで小栗旬が言っていましたが、それも一理あると思います。過去の自分と比較し、過去の自分に嫉妬し、過去の自分に戻りたいと願ってしまう。でもそんな願いが叶うわけがないという事実も知っているから、さらに落ち込む。過去の自分を羨むしかなくなってくる。そんな負のループを延々と繰り返すのがわかりきっているから自分を見るのが怖くなってしまっていたんだと思う。そんな思いを巡らせる間もなく、反射的に「見たくない」と思ってしまうようなものだとも思ってる。
今の自分を見れば見るほど過去の栄光や楽しかった思い出が襲ってくる。自分自身から逃げることも出来ずにいる。
少なくとも僕はそう思っています。ていうか僕がそうなんです。
変わろうとする=偉い?
確かに過去に縛られずに自分の新しい幸せを探している人ほど強く、眩しい人はいないでしょう。いつまでも過去の沼に足をとられ、「あの日々をもう一度送りたい」と心の中で願い続けてどこへも動かない僕より遥かに大人で、達観していると思えます。そういう人に最大級の賛辞を送りたいです。
でも、ときどき言われるこの言葉。落ち込んでいるときに投げかけられるこの言葉。
「Aさん(有名人)はそういうときに変わろうと努力したんですよ。偉いでしょ?ほら、元気出して!」
元気出せるかそんなもん。元気捻り出せんわ。あの人はあの人、僕は僕だろ。
よそはよそ、うちはうちだろ。
みんな違ってみんないいだろ。
確かにそういう人はすごい、尊敬できるとは言ったが、「偉いでしょ?」と人から評価されて見本にされるのはまたちょっと違うんじゃない?と思う。あくまでそのAさんは自分の幸せのために自分を変えようと努力したのであって、評価されるためではないと思う。偉いと言われたいならもっと別なことをやっているだろう。ていうか褒められるために過去を克服しようとしてるなら心底キモいと思う。お前なにやってんの。努力のベクトル間違ってるよ。
個人的にそういう慰められ方されると、「Aさんはいいから俺の話をしろ」と余計寂しくなる。辛いのは僕であって、慰めてほしいのも僕である。だったら僕を主体にして話を進めるべきだし、Aさんもいい迷惑である。人の説教にわざわざ引き合いに出されるのだから。ていうかAさんに失礼だろ。
そういうわけで、人から「偉いから見習え」というべきものじゃないってことです。この一文だけで良かった気がする。
人は簡単には変われない。でも変われる
もう何の話か自分でもよくわからなくなってきましたが、とりあえず
人は過去から抜け出すことに苦労する。けど決して変われないわけじゃない。
自分のことを認め今出来る幸せを掴む方法を探すか、僕のように全て諦め「そういうものなんだ」と考えることを放棄しその日その日を生きていれば、過去のショックでつらくなることはとりあえずありません。ただ、僕のように生きてる人は時々フラッシュバックが来る可能性があるので、正直に前者の方法をとった方がいいです。そっちのほうが普通に良い未来があることでしょう。
「生きてればきっといいことがある」なんて無責任なことは言いませんが、生きてさえいればとりあえずゲームが出来ます。アニメが見れます。どうせなら生きててください
生きる希望を与えてくれたモバマスとエロゲキャラに感謝をして
今日も僕は生きています。
ものすごい気持ち悪いこと書いてすいませんでした。