箱とラジカセとぼく

思ったこととか思ったこととか書きます。くだらないことしか書いてないので気をつけて読んでください。記事に関する意見はTwitterでも受け付けてます。ID:@senedesumusu_

いじめの話

人間ってこえーって話。

 

どうも、先日小学校以来の友達と出会った際に思い出の中で僕がいじめられていたことをなかったことにされてました。僕です。おはようございます。

 

 

最近カゲプロのアニメ見てみたんですよ。あまりにひどいって聞いて。

うん。わけわかんなかった。唐突な3D、「!?」の連続展開に頭がついていけなかった感じがあります。なんというか、内輪ネタが多いというか、シャフトよく頑張ったと誉め称えてやりたい気分です。OPとEDは気に入りました。それで気になっちゃって友達に小説まで借りましたが小説も話がこんがらがってました。逃げ場がねぇ!!

 

なんでこんな話をしたのかというと、まあ前の記事と話かぶっちゃう出だしなんですけど「カゲプロのファンがひどすぎる」みたいなネタやら話が多くあがっていたのを思い出したからです。いつしかカゲプロのファンだからといって何らかのいじめが起こらないか心配なもんです。

 

好きなものの話 - 箱とラジカセとぼく

 

 

人間怖すぎ

前にカゲプロ関連の動画を見ていたところ、「友達にカゲプロのCD便器に捨てられた」というコメントをみかけました。これで僕は上に書いたような恐怖を感じたわけなんですよね。ていうかそれもういじめの域に達してね?

 

まあかく言う僕もいじめられてました。小中と。

周りの奴らにとっては単なる「いじり」のようなもんだと思っているようでしたが、どう考えても朝から肩パンされたりプロレス技の練習台になることがいじりだとは思えないのでたぶんこれいじめなんだと思います。

どこをどう考えたらいじりになるんだよ。誰も笑ってなかっただろ。

人間怖すぎなんだけど。もう軽く人間を知らないエルフの気分なんだけど。

 

いじめってどっからいじめ?

小学校の頃先生が言ってました。

「いじめっていうのは相手が嫌だってときからもういじめなんだよ!」と。

考えてみてもなかなか理屈に合ってるなあと思いましたね。確かに芸人はいじりられ役を喜んで請け負ってるところがあるし、いじられ役を受け入れてる奴にとっては美味しいポジションなんだと思います。

それに当てはまらなかった僕はきっといじめにあっていたんだと思います。毎日のように筆箱盗まれてたりペン投げ捨てられたりトイレに物捨てられてたりしてて、僕にはとても「美味しいポジション」だとは思えませんでした。誰かが得をしてるわけでもないし、強いていえばいじめっこたちが面白かっただけでしょう。ムカつくわー。

 

「いじめ」と「いじり」の境界線はきっと周りが決めることじゃなく、自分自身の気持ちによって決まるものなんだと思っています。自分がその立ち位置で満足し、居心地がいいなら好き勝手やらせててもいいと思います。ただし、やり過ぎだと思ったら止めることも大切です。「いじってる側」の正義感と倫理観の欠如に繋がるため、「これはやっちゃいけない」というような大切な境界線を決めておきましょう。これが所謂友達として遊ぶために大切なことの一つなのかもしれません。

 

周りの空気より自分を大切にしたほうが万倍いいことだってあるのん。

 

いじめを止めない・止められない傍観者って本当に悪なの?

「なんで友達がいじめられていて止めなかったんだ!本当にお前らは友達なのか!」って先生が怒ってるシーンがドラマであったんですけど、それって本当にその傍観者の立場になってませんよね。しょうがねぇだろそんなもん!って気分になりますよね。

 

だって怖いんだもん。酷いいじめがあってもその標的が自分になったらと考えるとそれまで幸せだった日常は崩壊してしまうかもしれないんです。そんなの恐ろしすぎる。

だから僕はこれは仕方ないんじゃないだろうかとか思うわけなんです。

誰も何もしないことを知っている。自分が標的になっても誰も何も出来ないということはわかってる。まさにそれが自分になるかもしれない。だから怖い。そういうことなんだと思います。子供ながらにして大人の社会で必要な「見て見ぬフリ」をいじめによって学ぶなんて人間って非情ね!

 

街中で喧嘩に巻き込まれてるサラリーマンがいてボコられてたとしてもみんな黙って見てるだけでした。渋谷で僕がちょっと裏路地に入ったところで不良に囲まれてカツアゲされてても「うわ〜可哀想……」みたいな視線しか向けてきませんでした。現実以上に人間は非情なんです。人間こええええ!!でもしょうがないよ!僕だってそうなるもん!みんなそれで納得してる!はず!

 

 

先生がいじめを止めるものなのか

ちょっと話ズレてた気がするのでもう一回戻ろうと思います。

確かに、職業上生徒間の問題は解決しないといけないし、それを知られれば教育者としての立場も危うくなる。でもいじめって本当に先生が仕切って先生が終わらせるものなのかなぁと思います。

 

 僕は生徒間で起こった問題は先生が解決するものじゃなく、生徒が解決するもんだと思っています。先生はどっちかっていうと「手助けをする」役割だと思ってるんですよね。だって学校ってそういうもんじゃないですか。そういうもんじゃない?

 

 ていうか、そもそも先生の人格に疑わしい点があるなら生徒が心動かされるなんて無理にもほどがあるんじゃないだろうか。生徒が「先生が何言っても全く説得力ねぇよバカ」としか思わないんじゃないでしょうか。いわゆる「お前が言うな」状態?

「人を教育する立場に置いてまずは自分を教育しなければならない」とはいつか小学校の頃いじめられっ子だった僕がつけていた日記の中で綴っていた言葉であります。

こう見ると久しぶりに会う友達に「お前声以外変わってないな」と言われるのが納得出来ます。

 

 

前に記事で書きましたが、僕も尊敬に値する大人をあまり見たことがありません。そりゃどんな人間にも汚いところはありますがそれを本人がどう捉えているかで尊敬するかどうか決めてます。認めたところで汚いものは汚いですが、否認し続ける人よりマシだと思っています。僕も過去の罪を反省して生きていきたいです。

 

幼稚園の先生に言われた「いじめの発端」

 僕、中学生の頃に「幼稚園実習」っつって幼稚園で園児と遊んで世話をするってことがどれだけ大変なのかを学ぶボランティアに参加したことがあるんです。下心などない。

 

いやぁ楽園でしたね。幻想郷はあそこにあった。まさか昔自分が嫌々通っていた幼稚園があれだけの天国だとは知りませんでした。幼稚園の頃もうちょっと女の子の手とか握ってれば良かった。でも中学の頃同じクラスだった幼稚園来の幼馴染(女)に過去に散々馬乗りにされて馬役をやってたことをすっかり忘れられていてなんだか微妙な気分になったことを思い出しました。許すまじ

 

 で、その幼稚園実習のときにクラスでいじられ役だった奴とノリの良い奴が一緒になって園児達とドッジボールをしていたんです。そのときに

おい、あいつにばんばんボールぶつけていいからなーww

「おいおいwwwやめろってーwww」みたいな会話していたんですね。

 そのとき先生の注意の言葉が飛んできた。

 

すいません!!そういう特定の人を狙ってもいいみたいな発言はいじめの発端になるかもしれないんで!やめてください!」って。

 

なるほど言われてみればそういうことになるかもしれない。意識が足りなかった僕らも悪かったが、その先生の強めの注意で楽しいお遊びムードは崩壊してしまった。

「じゃ、じゃあ続きやる、かー……だ、誰が外野だっけ?」みたいな。気まずい。

僕はこれは果たしてどうかと思う。

そりゃ教育者の立場からして真っ当な意見だとは思うが、言うならせめて僕らだけにして言ってほしかった。園児達は無用なプレッシャーを感じ「先生が怒ってる」という雰囲気を察して無駄に重い空気を吸わなければいけなかった。そこだけは許せなかった。園児に教えるにしてももうちょっとやり方というものがあるだろうと僕は思うわけなんです。

 

でも先生の言うことだって正しい。確かにそういう言い方は優越性を増幅させ見下すことを覚え「こいつだったらなにをやってもいい」というわけのわからない思考を産みかねない。人間の脳みそとは他人の発言と自身の考え方でいくらでも悪魔になれるのだ。たとえそれが子供でも。いや、子供だからこそなんだろう。やっぱ人間こええ。

 

救ってくれる人がいれば万々歳

 僕、少女漫画の「いじめ」っていう漫画を何回か読んでるんですよ。妹が読んでてそれを。一話読み切りのタイプの漫画なんですが、それで気になってる展開が「毎回必ず誰か勇気のある人が助けてくれる」というアンパンマンも驚きの活躍ぶりをみせる友達・クラスメイトが必ず登場して、主人公を助けてくれて、それで主人公も勇気をつけていじめっこを見返す。というなんとも気持ちのいいメシウマ展開です。まあ読者対象が幼い少女なのであんまり現実見せちゃいけないとは思うのですが、やっぱり僕が読む分には辛すぎる内容なんです。

 

だって僕は小学校の頃いじめられていて、誰も何もしてくれなかった。助け舟を出してくれる人なんかいなかった。

これが現実なんだとわかっていてもやはりこういうものを読んでいると別の意味で涙腺が緩んできます。まあこういう話すると決まって「不幸自慢乙!不幸自慢乙!」と言ってくる人がいるのでリアルでは絶対言わないようにしてます。ここで言ってたらあんまり意味ないように見えるけど、それだとブログ始めた意味がよくわからなくなってくるのであえて堂々とボソボソ言うことにします。

 

漫画のように誰かが救世主となって助けてくれたのなら、土下座して結婚するくらいはしてあげてもいいほど感謝すべきだと思います。

誰だってなんだって救いがある、救ってくれる存在がいるというのは嬉しいものだと思います。救ってほしいと思ってない人以外は。

勘違いしないでほしいのが事態を解決しなきゃいけないのは結局自分自身だということです。でも世の中強い人ばっかりじゃない。解決しないで耐えるタイプの人だっていると思いますが、そういう人も救ってくれる人がいれば、いないよりずっとマシに生活出来ることでしょう。羨ましい。

 

 

救ってくれる人がいないのも至極当然のことと言えます。元々人間は非情なものであり、自らの不幸を顧みずいじめられている人を助けてくれる人なんてごくごく少数だということを頭に叩き込んでおいてください。人間みんな産まれて生きて死ぬまで一人なんです。人生というゲームをプレイ出来るプレイヤーは結局自分以外にいないんです。そう考えれば、自然と生きることが苦痛じゃなくなってきます。自分はそうでした。

 

 

今いじめられている人はとことん孤独になって、自分は世界に一人きりだという生活を楽しんでみてください。つらくなったら無理はせず周り人間に助けを求めてください。リアルバーチャル問わず。つらくなるということはこの方法が合わない人間だということですから。

 

ちなみに僕は今自分の人生というゲームを無駄にダラダラとプレイし続けてろくに経験値もたまっていずいつまでたってもレベルアップ出来ないままですがこれからなんとかなります。たぶん。きっと。俺達の戦いはまだまだこれからだ!

物作りの話

作っているものが好きじゃなきゃ意味ないよねって話。

 

どうも、工業の学校に通ってるのに文系の僕です。おはようございます。

 

僕も趣味でブログ書いてたり音楽作りしたり二次創作SS書いてたりしてるんですが、どれもヘタクソなんです。ヘッタクソなんです(大事なことなので2回言いました)

 

でもやめねーよーwwwwwwwwふえーーwwwwww

 

「好きこそものの上手なれ」が怖い

今の日本では「趣味=得意」だと勘違いしてる人がいっぱいいて怖いですよね。

「僕手品得意なんですよー」と言うならまだしも、

「僕手品が趣味なんですよー」と言ったら「じゃあ上手なんだね」ってやってみろみたいな空気になる。怖すぎ

 

好きなのに上手じゃないの?」みたいな感じでバカにされるのが怖いんです。怖すぎるんです。なにこの強迫観念。好きだったら上手くて当然みたいなこの感じなんなの?「好きだけどヘタクソなんです」が通用しないこの世の中って一体なんなの?もう優しさを持ってるのがバファリンくらいしか思いつかない。

 

「趣味でこの程度なんだw」みたいな視線が怖くて作品を作っても発表出来ないでいる、そんな人はいませんか。僕です。クソくらえ

 

好きで作ったものなんだからいいじゃん

こっから言いたいこと言います。いや、上のも言いたいことだったんですけど今回の記事の本題として言いたいこといいます。遅いよ…

 

上にも書いたように、好きなもん作って発表するくらいいいじゃんと思う訳です。僕は音楽作りをしてますが褒められたことはそんなにありません。でも僕は好きで作ってんだし要するに自己満足さえ出来ればいいわけなんです。

 

僕の音楽作りだけじゃなく、他の人の作る絵だったり、文章だったり、ゲームだったり。みんな好きなもん作って好きなことやってるわけです。それにより高いクオリティ求めて「ヘタクソならアップすんな」みたいにブーブー言ってるっていうならもうゲーム会社にでもなんでも要望出して作ってもらえって感じです。こっちは素人なんだし(玄人もいるかもしれないけど)、自分の好きなもん作っておもしろおかしくやってるっていうのに横からお客様がガヤガヤやってきてご満足いただけないと文句ブーブー言って帰っていく。残されたのは制作者の悔しさと惨めさだけです。

 

正直、文句言って帰るぐらいだったら何も言わずそっ閉じしていただきたいものです。「じゃあ良い言葉だけ言えってことか!自己顕示欲の塊人間!」って怒る人がいますが、勘違いしてもらいたくないのは、僕らが求めているのは苦情ではなく批判です。ちゃんと作品見てもらって自分の詳しい見解や反省点、「こうしたらいいんじゃないか」「ここが惜しい」とかそういう感想です。ただ気に入らないところベラベラ喋られたところで不快にしかならないし荒らしとか思えないので、もうマジでふんがーっ!てなります。

 

でも、ちゃんとした批判をもらっても成長出来ない人がいます。

そう、かまってちゃんです。やたら絵のツイートしてタグ付けして無駄にフォロワーが多いくせにbotしか喋ってないような奴らです。奴らはどんな人たちなのか僕なりに考えてみました。

 

目を覆いたくなるような「創作系かまってちゃん」

Twitterで一度は見たことありませんか?「#◯◯好きとつながりたい」「#絵描いてる人とつながりたい」「#お世辞でも上手いと思ったらRT(画像付き)」などのタグを連発多用しフォロワーを増やしてる、語尾に「(笑)」をつけるタイプの人間を。

 

そういう奴らを僕は「創作系かまってちゃん」と命名しました。

さて、創作系かまっちゃんはどういう人たちなのか。よーく観察して考えてみましょう。

 

僕はまず、「#絵師さんとつながりたい」みたいな感じのタグを片っ端から検索し、ツイートを観察していました。見事にヘタクソな絵ばかりだった。そして思ったんです。

 

こいつら本当に絵好きなのかな?」って。

もし、こういう人たちが絵を描いてる理由が「人と繋がっていたいから」「人にかまってもらうための道具として絵を描いてるのであって別に絵を描くことが好きなんじゃない」のだとしたら、僕は怒りでスーパーサイヤ人になれる自信があります。まああくまで仮定の話ですし、「自分はそうじゃない!」っていう人がいたら是非なぜわざわざ絵のツイートにタグつけてんのかお話聞かせて頂きたいものです。

好きで絵を描いてる人だったら誰でも怒ると思いますね。

 

何かの義務感を感じたら負け

絵でもなんでも創作している人は感じたことがないでしょうか。

「みなさんの期待に応えなきゃいけない」「早く次の作品を作らなきゃいけない」という何かに追われているような感覚を。それが義務感です。ちょうど僕も書きながら思っています。

 

出来るだけ期待に応えたいのはわかるけど、それって何か違うんじゃないかって思うわけなんです。期待に応えなきゃいけないって思って作ったものは、一体誰のために、何のために作られたものなのか、僕にはよくわからないでいるんです。

 

自分が好きで作ってるものだし、好きなときに好きなもん作ってたらいいと思う。それが許されないのは商業で創作してる人だけだと思う。彼らはれっきとした仕事であり、それを創作することによって収入を得ている。当然納期だって期限だってあるだろう。(アーティストとかはどうか知らんけど)漫画家がもらっている原稿料の中には「締め切りを守る」という分だって入ってるのだから、きっちり守ってもらわなくてはいけない。

決して休載が多くゲームばかりして読者を長々と待たせた挙げ句ようやく久しぶりに単行本を出したと思ったら表紙の裏のアレの作者コメントに一言「柿ピーうまい」とだけ書かれていた某漫画家のことを言ってるわけではない。決して。

ありったけの力出して漫画描けよ

 

それって本当に好きなもの?

Twitterでフォロワーさんが言っていました。

「好きなものを批判されるとすーっと冷めていく感じがある」

 

それって本当に好きなものなんでしょうか。

 

僕は中学の頃僕には片思いの人がいましたが、友達が「あんな奴のどこがいいんだよ」と言ったのでマウンドポジションとってボコボコにしました。僕にとって好きなものを1mmも理解しない、しようとしない奴が嫌いだったしわざわざ言うなって思う。それが好きな僕は何が悪いんだ、なにがおかしいんだとキレちゃったわけなんです。

好きなものを批判されて、それで冷めていくなら今までそれに費やした時間や感情は一体なんだったのかわからないじゃないですか。本当に好きなものだったら批判されたら嫌なはずですし、それでも続けていきたいと思うはずなんですよ。僕の中では。

 

中学の時漫画を描いていた女子を男子が「うっわーwww漫画なんか描いてるーww」みたいなことを言ってました。それでも女子はかまわず描いていました。本当に好きなものってこういうことなんだなぁと思いました。情熱があるって素敵。

 

話は違うかもしれませんが、僕も中学時代からニコニコ動画でベースの演奏動画ばっかみて憧れていたものです。そしてついに2万のベースを買って挑戦。挫折。

きっと僕は「見ていて楽しいもの」は「やっても楽しいもの」だと勘違いしていたんだと思います。音楽鑑賞するのと、音楽を作るのでは楽しさの種類が違うんでしょう。だから僕は未だにリコーダーばかり吹いているんでしょうね

 

過去記事でも書きましたが、やっぱり好きなものを持つっていうのはいいもんだと思うんです。それを恥じて隠したり、バカにされたことで冷めるようなことはなんだか許せない気持ちになるんですね。

 

好きなものの話 - 箱とラジカセとぼく

 

 

好きで居続けなくちゃいけないわけじゃない

でも人間絶対に飽きはきます。本当に好きなものでも飽きてしまうことはあります。上に書いたような「冷める」とはまた違うと思うんですが、飽きもまた「冷める」っていうことだと思います。

 

でも、周りの人間は既に自分が飽きてしまったことを未だに好きでいてくれてる。だからといって上に書いたような義務感を感じなくていいと思うんです。それも本人の自由だしこれから始める新しいことにもきっとファンというのはついてくれることでしょう。まあファンつけるために創作やってるわけじゃないと思いますが、きっと応援してくれる人はついてくれるはずだと思います。ファンがいなくても応援してくれる人がいなくても、好きだったら続けてみてください。好きじゃなくなったならご自由にって感じです。

 

好きでいて、その作ってるもののクオリティを上げたいとか上手くなりたいとか思って努力している人は素敵だと思うし、応援してあげたくなります。人間ってそういうもんだと思うんですよね。僕の勝手な想像だけど。人間に夢見過ぎ

 

 

自分の中に信条を持つ事

「自分はこれが好きなんだけど、本当に好きって言えるのかな?」と疑問に思ったことはありませんか。「何でこれが好きなんだろう」ときっかけを忘れてしまったことはありませんか。

 

共通して言えることが「自分なりの信条は持っているか」ということです。

信条は自分の中の支えになると思うし、そのポリシーを理解してくれる人がいてくれたら、きっと頑張れると思うんです。某忍者も「火影になる」っていう目標兼信条を決めて頑張ってましたし、「自分の信条は曲げねえ!」って言ってなんやかんややってましたよね(うろおぼえ) そういうことだと思うんです。

 

 

忘れないことが大事だと思う

某魔人探偵も言いました。

「忘れるということはつまり進化を忘れるということ。このようにゆるやかに死んでいくのと同じことだ(足で首を天井に押しつけながら)」

 

情熱を忘れれば向上心も失われる。そういうことなんだと思います。成長するために失くさなきゃいけないものなんてないんだと僕は思ってます。

 

きっと創作物の話だけじゃなく、どんなものにでも言えることなんでしょう。僕はそう思いました。

どうか信条を、情熱を失敗を、忘れないでください。

 

 

 

 

 

そんな僕は今日も曲作りをしないままダラダラとブログを書き続けています。

明日があるさ、ネバネバネバネバー」ってずっと歌ってます。

好きなものの話

誰にだって趣味はあるけど、それを恥じたりする必要があるのかって話。

 

どうも、自分の記事を読んでてうっかり自分で☆をつけてしまって何だか微妙な気持ちになった僕です。おはようございます。

 

最近オタクが批判されるようなニュースが続いて嫌な感じですね。最近家族から冷たい目で見られることが多くなってきました。つらい。

でもオタクってそんなに悪なのかなーってオタクなりに考えてみました。

趣味くらい好きにさせてくださいよぉ……

 

人々のイメージに便乗するメディアに便乗する人々

何言ってんだこいつ。 けど僕が言いたいことを一行でまとめた結果こうなりました。わけがわからないよ。

 

最近リア充のような人たちから「オタクが悪い!」「怖い!」「気持ち悪い!」「犯罪者予備軍!」「闇の炎に抱かれて消えろ!」等々ネットでもリアルでも散々言われて嫌な世の中になりましたね。

でも本当に最近になってからオタクが敵視されるようになってきたのか?と思いました。考えてみればオタクという存在は昔から敬遠されるような存在でした。救いはないんですか……。

 

どこの記事にもあるようなメディア叩きをするつもりはありませんが、それでもニュースを見ていて「その情報いるの?」というような報道をよく見ます。

「犯人の部屋からはアニメポスターが……」「アニメグッズが……」とか。

いかにも「やっぱり犯人はオタクだった」みたいな刷り込みをしようとメディアさん必死ですね。当のオタクは「また言ってるよ」って感じですが一般人はまんまと乗せられ「やっぱりオタクキモいんだよ!死ね!」みたいなことを言っています。

メディアを鵜呑みにしすぎていると怖い目を見るなって改めて思いました。この前も同じバイト先の中国人の後輩から「ええー?テレビなんか信じてるんですかぁ?」みたいなこと言われてハッとしました。自分で調べて確かめるということをしなさすぎたんだと実感しました。

 

でも自分で調べてもSTAP細胞があるかどうかわかりませんでした。

 

理解が広まるのはいつだって難しい問題

話戻ります

だったらジャンプ系でもなんでもアニメポスター貼ってる奴全員犯罪予備軍として扱えよって一瞬思いましたが、それを言えば

「いや、それは違うでしょ」「そういうアニメじゃないし」「ジャンプ系は貼っててもいんじゃね?」「萌え〜とかいうやつじゃないし」とか散々言われるに決まってるから言いません。自分で書いててちょっと殴りたくなってきました。何だこいつら。

でも少しだけわかります。そういう彼らはきっと僕らの感性がわからないから意味不明だと罵ってくるんでしょう。よーくわかります。人間は自分が理解出来ないものは排除しようという傾向があります。僕だって合コンの何が楽しいかわかりません。みんなで行くボウリングの何が楽しいかわかりません。みんな同じ人間なんです。優しい目で見守ってあげましょう。

 

ガリレオも地動説を唱え裁判にかけられました。

ブルーノも宇宙人存在説・無限宇宙説を唱えて火あぶりの刑に処されました。

理解されるのはもっと後だったんです。

 

今の我々が世間の目をどうしようということは出来ないのです。理由のわからないオタク叩きに、ただひたすら耐える他ないのです。きっと世間もテレビもいつだって敵が欲しいんでしょう。自分の正しさを人を見下すことで確かめたいのでしょう。見下された人はどんな生活を送っているとも知らずに。知ろうともせずに。

 

オタクって恥ずかしいの?

オタクを恥じる必要ってあるのか。そもそもオタクってなんだろう。

 

一口に言っても色々いる。アニメオタク、ミリタリーオタク、エロゲオタク、ドールオタク、ゲームオタク、オーディオオタク……要するに趣味が高じて色々詳しくなった人とかそういう感じなんだと思う。(てきとう)

じゃあ趣味が世間様がいう「オタク趣味」ならそれはいけないのでしょうか。僕はただの趣味で「◯◯が好きなんだ」って言っただけで敬遠されるようならそんな世の中なんていらないし敬遠するような人と無理して付き合い続けるなら死んだほうがマシだと思ってる。ポジティブな人は布教して引きずり込むようだが僕にはそんな勇気ないし自分の中で始末つけたほうが手っ取り早いと思う。

 

人が好きでやってることを批判される筋合いはないと思う。それは誰だって同じだろうけど、誰もかれも「自分も当事者だ」ということを忘れている気がしてならない。

同じようなこと言われたら「そんなの楽しさを知らないだけだ」なんて思うだろうけどそれは僕のセリフだと音量(iiiiiiiiiiiiiiiiiiiii…)くらいで言いたい。

 

要するにその程度の認識で言ってるんです。批判する人の中には生理的にオタクが無理で本気で隔離しようとしてる人もいますが、それはただの自分勝手だと思うしむしろこっちから離れたいと思っています。そっちのほうがお互いのためだと思いますしおすし。

 

 

良識ある行動をしない奴はただのバカ

 言い方が悪いようですが、僕にはどうしてもバカにしか見えないんです。コンビニの中で座り込む若者、店内で大声で電話するオヤジ、クレームをつける自己中、コミケで前日から徹夜をする徹夜組。どれもバカですが最後のは特に全員にザラキーマかけて棺桶の状態で教会行って生き返ってから反省してきてほしい。

 

このように常識のない奴はただのバカです。たとえどんな趣味を持っていようとも。

 

Twitterでこんな話を見かけました。そのまんまは書き出せないので思い出した内容を噛み砕いて要約して書きます。

 

「オタクが図書館で数人でカードの話題について騒いでて、うるさいから『公共の場所なんで静かにしてもらえますか』と言ったら『DQNが…』とか言われてお前が言うなって」っていう話がありました。

 

要するにこういうことです。こういう奴がオタク全体のイメージの低下に直接的ではないとはいえ繋がっていると思っています。小学校で連帯責任をとってた意味がわかった気がしますね。

上に「好きなものを言っただけで敬遠されるような人間なんてこっちから願い下げだ」みたいなことを書きましたが、誰だってドン引きされるような特殊性癖を暴露されるならそれはもう聞かされた人が可哀想になってきます。いきなり「実は私処女と経血が好きなんです!ゼリーが流れ出るのを見るのが大好きなんです!」みたいなことを言われると誰だってドン引きするでしょう。冗談でも冗談抜きで気持ち悪いです。すいませんでしたこんな性癖で。ドン引きしないでください。

 

人の迷惑を考えない奴は趣味を楽しむ資格はない」って誰かが言ってたような気がします。(誰も言ってなかったなら僕が言ってたってことにしといてください)自分だけ楽しめれば他人なんてどうでもいい!って人はただのクズです。そんな奴にこのオタクの世界の平和は渡さないわ!覚悟しなさい!一般人の方よーく理解を深めておいてください。オタクはみんな怖いわけじゃないんだよ!オタクだって人間なんだよ!

 

一人が常識のない行動をすれば敵に仕立て上げたいメディア様がたちまち晒しあげ、オタク全体のイメージが音を立てて低下していきます。でも例え良いオタクが親切な行動をしたってそれが報道されることもないので結果的にイメージは悪くなっていく一方なわけです。誰が考えたんだこの悪魔みたいな無限ループシステム。

この何とも嫌なループにハマらないため皆様は良識ある行動を心がけましょう。 

 

好きなことやりゃいいじゃん。よかろうもん

周りの目ばかりを気にして趣味を隠してる人はきっと周りに理解してくれる人がいなくて寂しいのだと思います。きっとみんなこういう悩みを持っていることでしょう。

そういうのを見てるのってすごく辛くなる

 

 だったら趣味の合う人を探してその人と仲良くしたらいいと思うし、そういうのに寛容な人とかだったら別に趣味を言っててもいいと思う。きっと受け入れてくれることだろうし、そしたら心のつっかかりもとれることだろう。世界は思ってる以上に残酷だけど暖かい部分があるのも決して忘れないで!諦めないで!でもあの石けんは諦めて!

 

好きなことに文句は言わせねえ。けどしっかり常識も頭に入れとこうなって話でした。

 

 

 

 

 

あと僕もそうなんですけど、安易に人にリョナ趣味を暴露するのはやめておこうね!不快に感じる人もいるってことを忘れないようにしよう!