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箱とラジカセとぼく

思ったこととか思ったこととか書きます。くだらないことしか書いてないので気をつけて読んでください。記事に関する意見はTwitterでも受け付けてます。ID:@senedesumusu

考え方の話

おはようございます。僕です。

 

「お前の中の常識を押し付けるな」って話です。

 

みなさん、自分の中で「自分だけの法則」とかルーティンとかありますよね?

 

僕はこういう法則が自分の中にあります。

 

こういう自分自身をハッピーに保つ法則があることをツイートしたわけです。

なんでこんな法則があるかというと、僕の頭がおかしいからです。

 

でも、フォロワーの「もっと向上心持って生きろよ」という大人な意見をいただきました。

うるせえ。

 

 

僕は幸せでいたいんです。たとえハードルが低かったとしても、それで幸福感を得ることができるんです。

 

でもどう幸せに生きようとしても湧いてくるのが「外野から自分の意見を言って満足して帰っていくやつ」です。

 

元々僕がこのブログを始めた理由は「僕のマジレスツイートをタイムラインに流し続けたら誰かが不快になる可能性がある」「僕の意見と合わない人と議論することになるかもしれない」「ていうかそんなくだらないことで喧嘩したくないし下手したらリアルファイト申し込みそう」だからです。

 

そうです。元々「クソみたいな外野にならないため」に始めました。

 

僕なりのハッピー

元々僕は「ハードルの低い幸せを望み、それすらない日はずっと不幸せな気持ちで1日を過ごす」ということを言いたいわけです。「毎日ハッピーに生きたいなあ」レベルの話なんですよ。

 

 なのに、「いや、向上心持って生きろよ。もっと大きな幸せをつかもうとしろよ」みたいなことを言ってなにになる。

もともとまともな思考回路を持ってない人に説教をかますな。

 

それに、幸せに貪欲なりすぎると逆に不幸になりかねないんですよ。

 前に書いた「報われる話」でも言いましたが、「幸せになるために努力し続けたとしても幸せになれる保証はない」ってことなんですよ。

 

senedesumusu.hatenablog.com

 

 

無責任に「努力して幸せになれるようにしろ」だなんて僕の心情を知らない人だから言えることなんです。

「現実が〜」と言ってるやつの言う「現実」はお前の中だけの「現実」だということを自覚してないんです。お前は現実という宗教をやってるだけなんだよ。

 薄っぺらい説教より10円の飴もらったほうがよっぽど幸せですよ。

 

「知らないくせに」っていう奴は何様なの?

 以前、「はるかぜちゃん」がすごい話題になりましたよね。

 

僕より年下なのに達観した人生観と価値感を持ち、圧倒的「正論」を言う女の子です。

 

そういう「子供なのにすごい大人」みたいな人には必ず

「いや、所詮ただの子供でしょ。言ってることに説得力ない(笑)」

「子供が社会を語るな」

「子供のくせに生意気」

「社会知ってから言おうね」などなど、「お前それ言ってて恥ずかしくならないの?」というような〝大人の説教〟が入ります。

 

一応言っておきますが、はるかぜちゃんは何ら間違ったことを言ってないし、「声優」「子役」という『仕事』をこなしています。立派に「社会」に出ています。

 

なんで社会に出ているにも関わらず人間の闇から目をそらし「そういうものなんだよ」で片付ける〝大人〟が、「それはおかしい」という〝子供〟を必死になって叩いているのでしょうか。

叩いているのは「自分に当てはまるところがある」からなんじゃないですか?

「大人としていい年してる自分よりまともなことを言ってる子供が許せない」からなんじゃないですか?

 

大人のいう「社会」ですら満足に生きられてないくせにブータレて文句言ってる人は子供以下の人です。老けた中学生みたいなやつが偉そうに踏ん反り返るな。気持ち悪いんだよ。

 

そういう「自称社会見てる大人」に限って「具体性のない説教」をします。

「社会に出たら通用しないんだよ!」みたいな。

通用しないってなんだよ。ワガママな大人が大量にいるからそういうことになってるんだろ。

ていうか「お前が未熟だから悪いんだ」みたいな言い方をするな。語弊があるだろ。

そもそもこのタイプの大人がいっぱいいるから「正しい思考回路を持つ人間が社会で通用しなくなってる」って言ったほうがいいんじゃないか。

 

気をつけたいのが、「偉そうに説教するやつの話はよく聞くと大した話じゃないし、説教をそのまま受け入れて社会に出ると言ってることと大違いでびっくりする」ってことです。

 

僕も昔先生から「そんなんじゃ社会では通用しないぞ」「苦労はきっと役に立つ」ってことを言われて社会に出ました。

でも高校の頃と変わらずにいても会社には馴染めましたし、会社でどれだけ苦労して働いてもクソみたいな給料でした。

時間返せ

 

自分の中の常識と世界観を大切にしよう!

とにかく、僕がこれで言いたかったのは「自分の中で大切にしている考え方や世界観を大切にして、自分で正しいと思ったことに従え」ってことです。

 

クソみたいな説教垂れる大人や、自身の生き方考え方を即座に否定してくるやつにろくなやつはいません。

どんな苦労をしようがどんな偉いことを成し遂げようが人間は人間です。

平等です。対等なんです。自分を下に見ている人間はただの勘違い野郎ですので適当に言ってること聞き流してりゃいいんです。

自分が苦労したって言う人間は大抵人の苦労に理解がないですから。

 

 

 

 

僕は僕を曲げないよ!

怒る話

人は何を思って怒ってるんだろうって話

 

おはようございます。僕です。

 

僕は温厚という名の世間知らずなので考えてみました。

 

人を怒らせる原因

僕は人を怒らせるのは極力避けたいし、怒られるのも避けたいと思ってるんですよ。

平和が大好きですから。ガンジーが握手求めるレベルですよ。

 

でも人を怒らせるってどういうときなんだろう?って思いますよね。

喧嘩中とか、別居中とか。

人それぞれ怒らせるポイント、「地雷」もありますし。

 

まあ本当に怒る理由は人それぞれだし、「これだ!」というものもないので、僕が怒る理由を書いておきます。

「こういう人もいる」みたいな参考にしてもらえれば程度に。

 

①「僕のものを壊す人」

子供の頃僕が一番嫌がったのが、「僕の作品を壊す人」です。

幼稚園にも一人はいましたよね。暴れん坊みたいな奴。

自分の感情のままに人が作ったものへの思いとか全部無視して壊す人、そんな人に僕はマジギレしていました。

 

小さい頃絵を描いたんです。結構な自信作だったんですね。

頑張って工夫して、写真とかも見ながら描いたんです。

 

それを暴れん坊(優しい言い方)が面白半分で真っ二つに破ったんですよ。

まあそれで怒ったから棒で殴ってそいつの頭真っ二つにしたんですけど。

 

人が頑張って描いたものをなんだと思ってるんでしょうか。

その人が作品のために注いだ時間と努力は一体なんだったのでしょうか。

一時の悪ふざけで、一瞬で、その努力と時間はバラバラになってしまうんですよ。

僕は耐えられませんでしたね。ボコボコにしました。平和大好き。

 

②「人の過去をほじくり返す人」

よくいるじゃないですか。

過去に恥ずかしい失敗をして、それを会う度言ってくるやつ。

僕はそれを同窓会でやられたので騒ぎになりかけるぐらいの喧嘩をしました。

平和大好き。

 

あれって何が楽しいんですかね。人には誰しも忘れたい過去であったり忘れたい人がいるってもんです。

それをわざわざほじくり返されたら嫌ですよね。

「嫌じゃない」って人は敵。敵です。死ね。パソコンのハードディスクが炎上して今まで保存したエロデータに殺されろ。

平和大好き。

 

 

なぜ嫌かって、その時の心境を蘇らせられちゃうからですよ。

先生に怒られて恥ずかしかった。その時と同じ気持ちになるんです。

加えて「その恥ずかしかったことを人の口から吐かれた」となれば、そりゃもう殺意100%でしょう。

太陽みたいに笑う君はどこだい wow wowしちゃうでしょう。

 

要するに、「恥ずかしいこと」と共にプライドを踏みにじる行為なんですよ。

これから面白おかしく人の恥ずかしい過去を暴露するなら「その人が許せるレベルなのか」ってことを考えてください。

考えないやつは死ね。くたばれ。死んで詫びろ。脛とか肘燃えろ。

 

 

③「倫理観の欠如している人」

論外です。

上に書いてあるようなことを注意しても怒ってもやめない、謝らない人です。

 

そんな野郎を見てると吐き気がする。殺意が湧く。

人間としての脳みそがイカれてる部類なので更生させるなら説得するより脳外科の手術を受けさせたほうが手っ取り早いでしょう。

 

平和大好き。

 

 

人を怒らせちゃったらどうしよう?

 「謝ったらいいじゃない」って思うでしょうけど、不用意に謝ると大変なことになります。

 

昔、勝手に僕のエロ本を盗みぶっかけたことで僕を怒らせた友人が「勝手にエロ本盗んでごめん!」って謝ってたんですよ。

 

いや、それもそうだけど、そこじゃねーだろ!って思ったんですよ。

例がアレですけど、そういうことです。

 

「自分が悪いと思っていたところ」と「相手が謝ってほしいところ」は必ずしも一緒ではないってことです。

人が何に怒っているのか、相手の立場になって考えることも大事ですよね。

 

とりあえずその友達は殴りました。

平和大好き。

 

 

人に怒ったらどうしよう?

まず、自分が怒ってることをはっきりさせましょう。

興奮して頭に血が上っているでしょうが、そうなるとどんな間違いを起こすかわかりません。

一旦冷静になって「自分が何に怒っているのか」をはっきりさせましょう。

 

で、上に書いたように「相手が悪いと思ってるところは自分とは違う」ということもあり得ます。

また、「相手が何に怒っているのかわからない」ということもあり得ます。

 

そういった場合は冷静に、かつ怒りを忘れぬよう、相手に「何を謝ってほしいか」を伝えましょう。

それでも相手がはてなマークだったら、さらに詳しく何に怒っているかを伝えましょう。

 

まともな相手だったらこれで解決します。

「ああ、あそこが悪かったんだな」「他にもこういう原因があったんだな」と反省してくれます。

相手が心から反省してくれたら握手を交わしましょう。

 

 

相手がまともじゃなかったら?

もしも「うるせぇよ。お前に謝ることなんか何もねぇよ。」「怒ってる?怒ってる?ピョロロ〜〜〜〜」となったら殴りましょう。

 

殺す。ぶっ殺してやる。そういう気持ちで相手を死なない程度にボコボコにしましょう。

気持ちがスッキリしたならそれはもう自分の勝ちです。

フルパワーで挑みましょう。

 

 

平穏に過ごすために

僕はね、平穏に過ごしたいんです。

人を怒らせてしまったら謝って、仲直りして、いつも通りの日常を送れる。

そんな平穏で幸せな、友達と一緒に笑いながら家に帰るような、そんな日々を送って人生を終えたいんです。

 

らんぼーな言葉を使うことのない、平和な世界のためにも、「人の立場に立って考える」ってことは大事なんだ。

 

そんな簡単なことも出気ないような愚図で甘ったれたプランクトンに達しないほどの単細胞で愚鈍な奴は死ね。死んで社会貢献しろ。全財産を税金として差し出した後自殺してろ。

 

 

平和が大好きな僕のために、人を怒らせないよう生活しようね。

偽善の話

「善」ってなんだよって話。

 

おはようございます。僕です。

 

最近九州のほうの地震ひどいですよね。

東北大震災のときも東京も甚大な被害を受けましたし、地震が怖いから結構心配してるんですよ。

 

それで、僕の常駐してるTwitterでよく議論が起こってるのが「不謹慎だ」とかいう人の話。

 

不謹慎ってどういう意味かなって思って調べてみたら「慎みや考慮、思慮分別の欠如などを指していう感情的形容詞。軽薄、不真面目、無神経などと同義」って書いてありました。なんか怖い。

 

それで思ったんですよ。「不謹慎」って言ってる人ってどういう気持ちなのかなって。

 

注意するときってどんな気持ちなの?

僕は人を注意するってことをあまりしないっていうか、人に対して怒るっていうことをあんまりしないんですよ。怒りという丘が低すぎるのか、通り越して悲しくなってきちゃうんですよね。バカな人たちを見てると。

 

それで、不謹慎って言ってる人ってどんな気持ちなんだろうって考えてみたんです。

きっと、「こういうことは間違ってる!私が正してあげないと!」っていう善意なのかなって思ったんですよ。

そういった不謹慎だと思われることを正してあげることこそが正義であり、それを排除することで世の中は美しくなっていくと考えてるんでしょう。

なんか児童ポルノを取り締まる政治観に似てますね。

 

でも本当にそれで世の中が綺麗になるんでしょうか。

その「不謹慎」なことをしている人は本当に正されていくんでしょうか。

ていうかそれ本当に不謹慎なんでしょうか。

 

お前のやっていることは何なんだ

そりゃ確かに「地震おもしれーwww」とか「何だよ、◯人しか死んでねーのかよ。つまんねーな」って言ってる「釣りにしても吐き気を催すな」と思うようなゲロクソアカウントには誰だって怒りますよ。僕だってムカつきますよ。「お前は何なんだよ」って言いたくなりますよ。スパブロしますよ。

 

でもなにかにつけて「不謹慎だ」「不謹慎だ」って叫ぶ人、お前も何様のつもりなんだって思うんですよね。何の代表なんだよ。

 

それでTwitter地震のときに「不謹慎だ!」って言ってる人のリプライ欄を見てみたら、「何で不謹慎なの?」って質問してる人がいました。

そしたらその人、「九州の人たちはきっとこのツイートを見て不快に思っている!不謹慎だろ!」って言ってました。

 

お前はなにを言ってるんだ。

 

そもそもそんな被害状況の中悠々とTwitter見て不快になってるなら僕も心配なんかせんわ。募金返せよってレベルだわ。

 

要するに、「人の気持ちに立って考える」という能力が欠如しているんですよ。

この人のほうがよっぽど不謹慎じゃん。軽薄なんだよ。

ていうかタイムライン見てみたらお前ずーっとTwitterやってんじゃねぇか。

お前は被災地に何の支援をしてるつもりなんだよ。

 

普通に考えればわかることなのに、何でこういうことがわからないんだろうって考えてみましたが、よくわかりませんでした。ていうかわかりたくもないな。

 

「やってあげる」という言葉

本題の「偽善」について入っていこうと思います。

九州の地震の件もそうなんですけど、「何か力になってあげたい」って意識は素晴らしいと思います。

辛く苦しい目にあっている人たちのことを思うと、どうしようもなく悲しくなってきて、自分がどうにかしてあげたい。って気持ちは素晴らしいです。

 

東北大震災のときも、様々な救援を日本全国の人々で行って現在着々と復興が進んでるの、本当に感動するし「人間ってこんなにあったかい生き物だったんだ」って思ったんです。

 

でも、そういうとき起こるのが「知識のない人たちの闇雲な救援」です。

救援物資をごちゃ混ぜに一つに詰めて送って、現地のボランティアの人を余計苦しめたり、「救援物資届けてくるぜ!」と言って数人分しかない物資持って車飛ばして大きな物資を運ぶトラックの道を混ませたり、「ありがた迷惑」ってやつです。

 

そういう現状のツイートの反応を検索してみたら出るわ出るわ、「なんで!?こっちはわざわざ救援物資届けてるんだよ?!何が悪いの!?」とか「そういう被災した人たちを助けてあげたいって思ってるのに!」とかそういうツイート。

 

「わざわざ」ってなに?苦労割いてあげたのにって?

「助けてあげたい」ってなに?どこから目線?

 

相田みつをが書いた詩にこういうのがあるんです。

「人の為と書いて、偽りと読むんだねぇ」

そういうことです。

 

「偽善者」と呼ぶ人たちの立場ってなに?

よく「偽善だ!」って言って批判する人いますよね。

まあ普段から不真面目で人のこと屁とも思ってない人が急にいい人ぶりだすとそう言いたくなる気持ちもよくわかります。

 

でも、地震の被害とかに対して自分の私財をなげうって募金してる芸能人とかに対して「偽善者!売名!」って言う人たち、一体どの立場から言ってるんでしょう。

 

その偽善者と呼ばれた人たちのおかげで地が復興する。助けになる。幸せになってる。

それは偽善と呼ぶにふさわしいのかなって思うわけなんです。

 

むしろ偽善者呼ばわりした人たちって何様なんでしょう。

人を偽善者呼ばわりしてる時点で確実に善人ではないですよね。だってその人たちは人を偽善者呼ばわりしている間なにもしてないし、偽善者と呼んだ人たちは地の復興に協力してる。

どっちが偽善者かわかりゃしませんね。

偽善者呼ばわりしてる人の気持ちなんか知りたくもないですし、弁明なんかも聞きたくないですね。

 

テレビで「お前のとこの芸能人の◯◯、募金してないじゃないか!どういうことだ!」って事務所に連絡がくるっていうのを見ました。

どうやら「募金してる」と公表していない芸能人をピックアップし、その人物を批判するために電話をかけてるみたいですね。

 

バカじゃねぇの。

お前は何なんだ?誰なんだ?お前が神か?

 

正直そんなことしてる暇があんならYahooで「3.11」って検索して募金してろって感じですね。

その取材を受けていた芸能事務所の関係者も「募金を公表してないだけで募金している人だっています。やめてください」って言ってました。

 

静かに募金して復興に役立ててる人、募金を公表して復興に役立てている人。

誰もが「俺募金しました!」って言うわけじゃないんです。

こんなの小学生でも冷静な顔で答えられることですよね。

 

 

「何かしなきゃいけない」っていう強迫観念

上にも書きましたけど、「お前のとこの芸能人の◯◯、募金してないじゃないか!どういうことだ!」って電話かけてくる人、何に突き動かされてそんな電話かけたのかな。

誰かがひどいめにあってたらそりゃ人間として助けなきゃって道徳はあるけど、それを「必ずしなきゃいけない」という「義務」になってしまったら、それはもう「道徳」ではないんですよ。「徳」という意識がゼロなんですから。

 

「助けたい」という気持ちと「助けなきゃいけない」って気持ちはイコールじゃないんです。そこを履き違えたままの人はこういう電話をかけてしまいます。

自分が一体何をしているのかを全く考慮しないまま。

こういう人こそが本物のバカです。

本物のバカが出来ないのは数学でも英語でもなく「道徳」です。

 

 

「善意」を全面に押す人

いいことをしたいって思うこととか、実行することって大切だし素晴らしいことだと思います。

でも、「俺この震災でこんなに募金した!」「俺はこの前ボランティア行った!」って人に嬉々として語って聞かせる人は自信を持って「いい人じゃない」と言い切れます。

そういう人に限って普段困っている人をスルーします。

 

僕が小学生の頃いじめられてた時、誰も助けてくれなかったし、むしろみんな楽しんでた。

僕が中学生の頃渋谷の裏通りでヤンキーに絡まれてカツアゲされてたとき、誰もが目線を下に向けていた。

 

人間ってそういう生き物なんです。

大事なのは「自分の人生に大きく関わってくるかどうか」なんです。

いじめを助けようとすれば自分がいじめられるかもしれない。

ヤンキーから助けようとすれば自分がボコボコにされるかもしれない。

現実なんてそんなもんなんです。

 

上に書いた人は「自分をいい人に見せたい」という《自分の人生に大きく関わっていくこと》のために善行を行ったのでしょう。

こういった気持ちを持ってしまった時点でこの善行は偽善に堕ちてしまうんです。

「本当に人を助けたい」と思ったかどうかなんですよ。ルター精神なんですよ。

 

 

「偽善」とは結局なんなのか

とりあえずWikiで調べてみました。

「偽善とは、善良であると偽ることをいう。また、これを行う者は偽善者と呼ばれる。外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、虚栄心や利己心などから行われている事を指している」

俺が想像してたものとドンピシャでちょっと困惑しました。

 

要するに、「善」って反射的なものなんですよ。

びっくりするだとか、美味いもん食って「美味しい!」ってつい言っちゃうとか、笑ったりだとか泣いたりだと感動したりだとか。

そういった部類のものなんです。

 

本当に人のためになることを考えること、それ自体が「善行」になり、次の善行へ繋がっていくんです。

 

自分本位の善行や、歪んだ正義感、人の立場になって考えることが出来ない、そういった人や行為こそが「偽善」なんだと考えます。

 

身体障害者の表記を「障がい」にしたりすることは本当に障害者の方々の願ったことですか。

なんでもかんでも「不謹慎だ!」と人に怒って注意することは本当に被災者が望んだことですか。

ちょっと考えればわかるじゃないですかこんなこと。

 

NHK身体障害者が自分の障害をネタにして笑いとってんだぞ。

「あいつとはもう手を切ったよ」「ああ、それで手がないんだ」「これは元からだよ!」っていう漫才やってんだぞ。

「いや、俺はもう足洗ったんだよ。」「どこの部位洗ったんだよ」「いや足は無いけどさ!」ってツッコミしてるんだぞ。

 

テレビ特集で「身体障害萌えのためのバー」とかやってんだぞ。

そこで働いてる店員さんが「障害をマイナスなように扱ってほしくない」「どうか前向きに見て欲しい」ってコメントしてんだぞ。見てんのかそういうの。

 

偽善を働く人たちに限ってそういうのを嫌悪して見ないんです。実情を知ろうとしないんですよ。

それってもう立派な「悪」だと思いませんか。

 

 

「人の気持ちを考えろ」

そういうことです。