作っているものが好きじゃなきゃ意味ないよねって話。
どうも、工業の学校に通ってるのに文系の僕です。おはようございます。
僕も趣味でブログ書いてたり音楽作りしたり二次創作SS書いてたりしてるんですが、どれもヘタクソなんです。ヘッタクソなんです(大事なことなので2回言いました)
でもやめねーよーwwwwwwwwふえーーwwwwww
「好きこそものの上手なれ」が怖い
今の日本では「趣味=得意」だと勘違いしてる人がいっぱいいて怖いですよね。
「僕手品得意なんですよー」と言うならまだしも、
「僕手品が趣味なんですよー」と言ったら「じゃあ上手なんだね」ってやってみろみたいな空気になる。怖すぎ
「好きなのに上手じゃないの?」みたいな感じでバカにされるのが怖いんです。怖すぎるんです。なにこの強迫観念。好きだったら上手くて当然みたいなこの感じなんなの?「好きだけどヘタクソなんです」が通用しないこの世の中って一体なんなの?もう優しさを持ってるのがバファリンくらいしか思いつかない。
「趣味でこの程度なんだw」みたいな視線が怖くて作品を作っても発表出来ないでいる、そんな人はいませんか。僕です。クソくらえ
好きで作ったものなんだからいいじゃん
こっから言いたいこと言います。いや、上のも言いたいことだったんですけど今回の記事の本題として言いたいこといいます。遅いよ…
上にも書いたように、好きなもん作って発表するくらいいいじゃんと思う訳です。僕は音楽作りをしてますが褒められたことはそんなにありません。でも僕は好きで作ってんだし要するに自己満足さえ出来ればいいわけなんです。
僕の音楽作りだけじゃなく、他の人の作る絵だったり、文章だったり、ゲームだったり。みんな好きなもん作って好きなことやってるわけです。それにより高いクオリティ求めて「ヘタクソならアップすんな」みたいにブーブー言ってるっていうならもうゲーム会社にでもなんでも要望出して作ってもらえって感じです。こっちは素人なんだし(玄人もいるかもしれないけど)、自分の好きなもん作っておもしろおかしくやってるっていうのに横からお客様がガヤガヤやってきてご満足いただけないと文句ブーブー言って帰っていく。残されたのは制作者の悔しさと惨めさだけです。
正直、文句言って帰るぐらいだったら何も言わずそっ閉じしていただきたいものです。「じゃあ良い言葉だけ言えってことか!自己顕示欲の塊人間!」って怒る人がいますが、勘違いしてもらいたくないのは、僕らが求めているのは苦情ではなく批判です。ちゃんと作品見てもらって自分の詳しい見解や反省点、「こうしたらいいんじゃないか」「ここが惜しい」とかそういう感想です。ただ気に入らないところベラベラ喋られたところで不快にしかならないし荒らしとか思えないので、もうマジでふんがーっ!てなります。
でも、ちゃんとした批判をもらっても成長出来ない人がいます。
そう、かまってちゃんです。やたら絵のツイートしてタグ付けして無駄にフォロワーが多いくせにbotしか喋ってないような奴らです。奴らはどんな人たちなのか僕なりに考えてみました。
目を覆いたくなるような「創作系かまってちゃん」
Twitterで一度は見たことありませんか?「#◯◯好きとつながりたい」「#絵描いてる人とつながりたい」「#お世辞でも上手いと思ったらRT(画像付き)」などのタグを連発多用しフォロワーを増やしてる、語尾に「(笑)」をつけるタイプの人間を。
そういう奴らを僕は「創作系かまってちゃん」と命名しました。
さて、創作系かまっちゃんはどういう人たちなのか。よーく観察して考えてみましょう。
僕はまず、「#絵師さんとつながりたい」みたいな感じのタグを片っ端から検索し、ツイートを観察していました。見事にヘタクソな絵ばかりだった。そして思ったんです。
「こいつら本当に絵好きなのかな?」って。
もし、こういう人たちが絵を描いてる理由が「人と繋がっていたいから」「人にかまってもらうための道具として絵を描いてるのであって別に絵を描くことが好きなんじゃない」のだとしたら、僕は怒りでスーパーサイヤ人になれる自信があります。まああくまで仮定の話ですし、「自分はそうじゃない!」っていう人がいたら是非なぜわざわざ絵のツイートにタグつけてんのかお話聞かせて頂きたいものです。
好きで絵を描いてる人だったら誰でも怒ると思いますね。
何かの義務感を感じたら負け
絵でもなんでも創作している人は感じたことがないでしょうか。
「みなさんの期待に応えなきゃいけない」「早く次の作品を作らなきゃいけない」という何かに追われているような感覚を。それが義務感です。ちょうど僕も書きながら思っています。
出来るだけ期待に応えたいのはわかるけど、それって何か違うんじゃないかって思うわけなんです。期待に応えなきゃいけないって思って作ったものは、一体誰のために、何のために作られたものなのか、僕にはよくわからないでいるんです。
自分が好きで作ってるものだし、好きなときに好きなもん作ってたらいいと思う。それが許されないのは商業で創作してる人だけだと思う。彼らはれっきとした仕事であり、それを創作することによって収入を得ている。当然納期だって期限だってあるだろう。(アーティストとかはどうか知らんけど)漫画家がもらっている原稿料の中には「締め切りを守る」という分だって入ってるのだから、きっちり守ってもらわなくてはいけない。
決して休載が多くゲームばかりして読者を長々と待たせた挙げ句ようやく久しぶりに単行本を出したと思ったら表紙の裏のアレの作者コメントに一言「柿ピーうまい」とだけ書かれていた某漫画家のことを言ってるわけではない。決して。
ありったけの力出して漫画描けよ
それって本当に好きなもの?
Twitterでフォロワーさんが言っていました。
「好きなものを批判されるとすーっと冷めていく感じがある」
それって本当に好きなものなんでしょうか。
僕は中学の頃僕には片思いの人がいましたが、友達が「あんな奴のどこがいいんだよ」と言ったのでマウンドポジションとってボコボコにしました。僕にとって好きなものを1mmも理解しない、しようとしない奴が嫌いだったしわざわざ言うなって思う。それが好きな僕は何が悪いんだ、なにがおかしいんだとキレちゃったわけなんです。
好きなものを批判されて、それで冷めていくなら今までそれに費やした時間や感情は一体なんだったのかわからないじゃないですか。本当に好きなものだったら批判されたら嫌なはずですし、それでも続けていきたいと思うはずなんですよ。僕の中では。
中学の時漫画を描いていた女子を男子が「うっわーwww漫画なんか描いてるーww」みたいなことを言ってました。それでも女子はかまわず描いていました。本当に好きなものってこういうことなんだなぁと思いました。情熱があるって素敵。
話は違うかもしれませんが、僕も中学時代からニコニコ動画でベースの演奏動画ばっかみて憧れていたものです。そしてついに2万のベースを買って挑戦。挫折。
きっと僕は「見ていて楽しいもの」は「やっても楽しいもの」だと勘違いしていたんだと思います。音楽鑑賞するのと、音楽を作るのでは楽しさの種類が違うんでしょう。だから僕は未だにリコーダーばかり吹いているんでしょうね
過去記事でも書きましたが、やっぱり好きなものを持つっていうのはいいもんだと思うんです。それを恥じて隠したり、バカにされたことで冷めるようなことはなんだか許せない気持ちになるんですね。
好きで居続けなくちゃいけないわけじゃない
でも人間絶対に飽きはきます。本当に好きなものでも飽きてしまうことはあります。上に書いたような「冷める」とはまた違うと思うんですが、飽きもまた「冷める」っていうことだと思います。
でも、周りの人間は既に自分が飽きてしまったことを未だに好きでいてくれてる。だからといって上に書いたような義務感を感じなくていいと思うんです。それも本人の自由だしこれから始める新しいことにもきっとファンというのはついてくれることでしょう。まあファンつけるために創作やってるわけじゃないと思いますが、きっと応援してくれる人はついてくれるはずだと思います。ファンがいなくても応援してくれる人がいなくても、好きだったら続けてみてください。好きじゃなくなったならご自由にって感じです。
好きでいて、その作ってるもののクオリティを上げたいとか上手くなりたいとか思って努力している人は素敵だと思うし、応援してあげたくなります。人間ってそういうもんだと思うんですよね。僕の勝手な想像だけど。人間に夢見過ぎ
自分の中に信条を持つ事
「自分はこれが好きなんだけど、本当に好きって言えるのかな?」と疑問に思ったことはありませんか。「何でこれが好きなんだろう」ときっかけを忘れてしまったことはありませんか。
共通して言えることが「自分なりの信条は持っているか」ということです。
信条は自分の中の支えになると思うし、そのポリシーを理解してくれる人がいてくれたら、きっと頑張れると思うんです。某忍者も「火影になる」っていう目標兼信条を決めて頑張ってましたし、「自分の信条は曲げねえ!」って言ってなんやかんややってましたよね(うろおぼえ) そういうことだと思うんです。
忘れないことが大事だと思う
某魔人探偵も言いました。
「忘れるということはつまり進化を忘れるということ。このようにゆるやかに死んでいくのと同じことだ(足で首を天井に押しつけながら)」
情熱を忘れれば向上心も失われる。そういうことなんだと思います。成長するために失くさなきゃいけないものなんてないんだと僕は思ってます。
きっと創作物の話だけじゃなく、どんなものにでも言えることなんでしょう。僕はそう思いました。
どうか信条を、情熱を失敗を、忘れないでください。
そんな僕は今日も曲作りをしないままダラダラとブログを書き続けています。
「明日があるさ、ネバネバネバネバー」ってずっと歌ってます。