箱とラジカセとぼく

思ったこととか思ったこととか書きます。くだらないことしか書いてないので気をつけて読んでください。記事に関する意見はTwitterでも受け付けてます。ID:@senedesumusu_

不満の話

好き嫌い言うのは人の勝手だよねって話。

 

おはようございます。僕です。

 

人には色々趣味がありますよね。釣りとか読書とかネカマとか。

人は趣味を好きだからやってるんですよね。だから人がどうこう言うもんじゃないんですよ。でも気になっちゃう!人が自分の趣味をどう思ってるか気になっちゃう!わかる!そういう話。

 

趣味は人の勝手です

まず前提として、「趣味というのは人が好きでやっているものであって、人がどうこう言うものじゃない」ということは飲み込んでください。水でも飲んで一度それを飲み込んでください。

 

まず、人は趣味をそれぞれ楽しんでいます。それを横からノソノソやってきて「いや、それクソだしw」とか言って去っていくなんて権利は誰にもないんです。やってるやつは死ね。人の邪魔をするな。

それと「その人も自分と同じ趣味をやってて文句を言いながらダラダラ続けてる」みたいなやつ。僕の友達も「こんなクソゲーもうやらねぇ」って言っておいてまだパズドラをやってます。とっとと辞めりゃいいのに。

基本的に人が何か不満を言ってブータレてるのを見るのは気分が良くありません。そっ閉じも出来ないようならお前の人生をそっ閉じして次のコンテニューに賭けたほうがまだいい。人生を辞めろ。

 

今楽しんでる人が見えてないような不満をタラタラ流してるやつはさっさとニューゲーム始めりゃいいんですよ。肌に合わないならやめるのが一番手っ取り早いしベストな手段だと思うわけなんです。

僕もモンストをやってみて二時間でアンインストールしましたし、Twitterに「モンストはクソゲー」とか一言も書き込みませんでした。そうするのが一番幸せだからです。

 

色んな手段があるというのに

まあ「キャラが好きだから仕方なくタラタラやってる」って人もいるでしょう。

最新情報なんかもゲームをやってると手に入りやすくなりますよね。

 

いや、でもちょっと待ってそれゲームやる必要なくない?

今時Twitterとか公式サイトとかピクシブとかマストドンとか色々あるじゃん!?!?!?!??!だったらそっちで情報やら新しいカードの画像やら手に入れれば良くない!?!?!?!ゲームに固執する必要なくない!?!?!?!同人誌とかもいっぱいあるでしょ!?!?!?!?

頑なにゲームを辞めない理由とは一体なんなんでしょう。僕は不思議で仕方ないですよ。今どきは様々な手段で情報を手に入れられる時代だというのに。

まるでネットを一切やらず新聞とラジオだけで情報を得ようとする田舎のおじいちゃんみたいですよ。もっともっと便利に自分の欲しい情報だけを手に入れられる媒体はあるというのに。わざわざ不満を言いながら少量の情報を補給してるんですよ?滑稽じゃないですか?ははは。

 

もしもTwitterとかで不満を言いながらゲームを続けてる、もしくは辞めたのに不満をタラタラ言ってる人がいたら「自分の人生で言うことはそれしかないのかな。随分と可哀想な人生だ」と思ってスルーしてください。不愉快になったからと言ってつっかかってはいけません。不満を言うのはその人の自由であり、その人の人生に干渉する権限などないのですから。

だからここで不満を言うのも僕の勝手です。突っ掛かられる言われはありません。

僕は不満をタラタラ言うそんな話は聞きたくない。不愉快だから。

 

好き嫌いは人それぞれだけど、場所は選ぼうぜ

僕が何故このブログを始めたか。それは上記のような不愉快な人にならないためと、マジレスしすぎるとフォロワーがドン引きするからです。

 

僕は直情的な人間なのでTwitterとかリアルで嫌いなものに遭遇すると「ああ……?殺すぞ……?」ってレベルで怒ります。一日気にするほど腹が立ちます。

みんなにそうしてほしいとは思わない。みんなにはてなブログを始めてもらってアフィブログ始めてほしいなんて思わない。Twitterでそういう文句を言うなとも言わない。

 

でも!!!!!!!せめてリアルとか!!!!!!そういう場所ではそういった文句を言うのをやめないか!!!!!

ネットと違うんだ!!!!!!拳だって出せるんだ!!!!足だって出せるんだ!!!!!屋上にだって行けるんだ!!!!!!

 

主義主張を曲げろとは言わないが、場とか人に配慮した主張をしてほしいんですよ。

Twitterで一人でツイートして文句をいうのはいい。でもわざわざ人に「それクソっすよw俺マジ最悪でしたもんw」とか言うな。人は人だろ。

それぞれの人生観があり、価値観があり、経験があるんだ。自分の「嫌い」という感情を通すために人に絡みに行くな。殺すぞ。

 

感情は垂れ流したくなるっていうのが人情

でもわかるんです。文句を言ってる人の気持ちが少しだけ。

とにかく自分の不満を言いたいんですよ。一人で地団駄踏んで「クソッ!クソッ!なんなんだよクソッ!舐めやがって超ムカつくぜェ〜〜〜ッ!!!」って言いたい気持ちがTwitterやなんかに爆発してるんです。

誰かが不愉快になろうと知ったこっちゃないんですよ。だってこの不満を言ってる人は一人きりで地団駄踏んでるようなものだし、それを側から見られて不愉快になられたって知らないんですよそんなことは。だからその人に干渉する権利なんかないし、誰かが別の意見を提示するなんてこともあっちゃならない。

多分忠告したって意見が変わるわけでもないし、その人の味わった不満を他の人は知らないわけですから、わかりあえるわけもないんですよ。だからやめとくべきなんです。

 

ただしコロコロ意見変わってるやつにはツッコミ入れてやりたい。それはいいと思う。「お前この間までクソクソ言うとったやんけ」っていうのはアリだと思う。

 

まずは君が落ち着け。

とりあえず、上記のように不愉快な人を見ても注意してはいけないし、「他人」である自分がすべきことは冷静になってその人の意見を受け止めることだと思う。

「この人はどうしてこんなに不満なのか」「何が要因だったのか」とかをちょっと考えてみるんですよ。そうすることで理解が深まることだってあるし、逆にそれでもわからないし不愉快だしお前死ねやと思うなら、そっとフォローを外すとかブロックするとかすればいい。

 

「そっ閉じ」が基本です。それを心がけるだけで世界はぐっと平和に見えるのです。

批判的になり、「私が正そう」だなんてお節介クソ野郎にならない限り、世界は結構平和にぐるぐる回っているように見えるんですよ。何も努力する必要はないんです。

 

ただ、「こういう人もいるんだな」っていうのと「自分だったらこうするけどな」という持論と「その人への適切な対処は何かな」と考えるだけでいいんです。何かの宗教じみてきましたけど、僕の言いたいことはこういうことなんです。

新興宗教じゃないんで消火器もツボも買わなくていいです。お金払いたいっていう人は僕の銀行口座に直接振り込んでおいてください。お待ちしております。

劣等感の話

劣等感からは逃げられないし、逃げれば逃げるほど苦しむって話

 

おはようございます。僕です。

 

仕事辞めてからずっと家とハローワークを往復してるだけの生活をしてると、時間がすごく余るんですよね。めちゃくちゃ時間があるんですよ。

つまり相対的に憂鬱になる時間が増えるわけです。考える時間があるというのはネガティブな人間にとっては本当に辛いです。マジに。

 

 

そもそも劣等感ってなにさ

例によって国語辞典で「劣等」を調べてみました。

「平均的な水準のものと比べて劣っていること。普通のものより劣っていることまた、そのさま」ということでした。

 

「劣等感」は

「自分が他より劣っているという感情」らしいです。

そのまんまだった。

 

自分は人より劣っている。それが辛い。なんで自分は人より劣っているんだろう。

そういった悩みの種になっている感情が劣等感です。自尊感情の低さからくるものが大体ですが、「自分の実力を認めているつもりだったが自分よりも実力ある人間が身近に現れたときの劣等感」については僕は何も言えません。自分に何か実力があると思えたことがないので。

 

要するに、「自分の実力を自分で認めることができないし、誰かに認めてもらう機会がない」という状態です。孤独が引き起こす症状の一つです。これに気づいてしまったとき、自分が一人ぼっちなんだなぁと切に感じる羽目になりました。本当に知らなくていいことを知ってしまった気分です。

 

劣等感を普段感じない人に向けて

僕は劣等感の塊というニックネームが日本で5番目くらいに似合う男ですが、普段劣等感を感じない人は劣等感丸出し人間の愚痴を聞くと、「もっと自信持ちなよ!」といって肩を叩く人が多いですよね。

まあ一部の人と重ちーとかはそれで「そうかなぁ!ありがとう!自信でてきたよ!」ってなるかもしれませんが、大抵の劣等感丸出し人間はネガティブなので「ああ……?この野郎……」「どうせ何もわかってねーんだろ……」とますます劣等感が強くなります。要するに「黙ってろこの能天気野郎」ということです。

 

アドバイスしてくれる人は善意か優越感に浸りたいかわからないですが、下手なアドバイスみたいなものをしないでください。劣等感の他に殺意が湧いてしまいます。

劣等感を背負ってる人も「鬱は甘え」みたいな考えの人にうっかり本音を漏らさないほうがいいです。理解できないものを排除し、「自分が出来るのだから他の人も出来るはず」という自信があるのかないのかわからない思考回路の人間に悩みを解決できるアドバイスができるわけがないのです。普段人のこと考えてるわけじゃない人間がたまに考えたってろくな結論になりません。触らないほうがいいです。

 

劣等感からは逃げられない

普段劣等感を負っている人は現実逃避のために何かをする傾向があります。僕もTwitterに一日中入り浸ってる人間のクズみたいな生活を送っています。

 

でもそれは無駄です。無駄だから嫌いなんだ。無駄無駄……

 

だってどんな方法をとったところで人と関わらなくてはいけないのが社会だからです。人間として最低限の文化的な生活を送るためにはどうやったって人とコミュニケーションをとり、自分の意思を伝えていかなくてはならないんです。

その中ではどうしても「人を見る」必要があるんです。無駄な思考が働き、ネガティブに寄っていき、背中に背負った劣等感がますます重くなる。必然なんですよね。

僕もTwitterに入り浸って好き勝手言って鬱憤を晴らそうとしていましたが逆効果でした。人の活動を見て劣等感が増したんです。鬱憤を晴らすどころか、むしろ「他の人がこんなに素晴らしい作品を生み出している間、俺は一体何をやってるんだ。今何をやっていたんだ」という意識に囚われ、胸を掻き毟りたくなりました。そしてその劣等感を晴らすために、またTwitterで好き勝手言ってるんです。「星の王子様」の飲んだくれかよ。自己矛盾のループかよ。

このブログだって書いてるの午前四時なんですよ?普通の人だったらとっくに就寝してるときに自分はなに自己嫌悪の掃き溜めみたいなものを書いてるんだって思いません?地獄じゃないですか?

 

 

こうして逃げようとすればするほど、本当に「ダメな奴」になっていくんです。

まず逃げようとしてる時点でダメ人間のスタートは切ってるんですが。

劣等感とは即ち「他の人間が羨ましくて疎ましい。そう思う自分もなんてダメな奴なんだ」という負のループどころか負の地獄へ真っ逆さまに落ちてるような状態なんですけど、逃げられるものじゃないんですよね。穴に落ちているのに上に向かって空気を必死に掻いたって上に上がれるわけじゃないんです。その方法で助かるのは「かいけつゾロリ」くらいしかないですよ。

むしろ逃げようとすればするほど深く落ちていくんです。蟻地獄みたいな感じです。

 

自分でなんとかするしかない

結局「劣等感」はどこにあると思いますか。

他の人の心の中ですか。排水溝の口にひっかかってますか。探し物はなんですか。見つけにくいものですか。カバンの中も机の中も探したけれど見つかりませんか。

 

自分の脳みそのに中にあるんですよね。

だから人に相談したって無駄なんですよ。まあ人に相談して劣等感を感じない人は「人に相談する」ってのも手だとは思いますけど。

 

どんなに逃げようとしたって常に思考は動いてます。自分の意思とは関係なしに。自分から逃げられる人はいません。疎ましく思ってる感情こそが手であり足であるのですから。

自分からは逃げられない。でもどうしたらいいんだ。逃げる以外の方法が思いつかない。俺はジョセフじゃねぇんだよ。色んな策は思いつかないんだよ。最終手段の「逃げるんだよォ〜〜〜!!」で逃げられるもんじゃないんだよ。

 

僕が見つけた答えは「人から離れて何かに熱中すること」です。

何か趣味に没頭するもよし、山にでも行って修行するもよし、散歩するもよし。

僕は天気の良い日にベランダに出て一日中雲を眺めて過ごしていました。定年後の無趣味のじじいかよ。

 

一日中雲を眺めていたら、なんだか詩的な何かが書けそうで晴れやかな気持ちになりました。劣等感が完全に消えたわけではないので、種火が残ってくすぶってる火のような感じですが。

 

これも一種の「逃げ」ですが、僕は少しだけ、マジで足の親指一本分だけ何か前進できたような気がしました。自分の中で何かの「達成感」を持つということが大事なんです。

 

どんなクソみたいなラノベを書いていたって、「挫折して途中でやめる人間」と「諦めずに考え書き続けて完結させた人間」とは天と地ほどの差があります。

普通、文庫化するには約10万字程度必要になります。僕もカクヨムショートショートを書いていますが、まだ合計1万字ちょっとです。僕は「コンテストで入賞した人」の前にまず「10万字書いてコンテストに投稿してる人」を尊敬してます。本当にすごいことをやっているなと思います。このブログだってここまで書いてたったの2700字ちょっとですよ?そう考えると10万字ってめちゃくちゃすごくないですか?尊敬しちゃいますよね。

 

 

辛い時はエロ本でも読んでろ

他の記事でももう言ってると思いますけど、結局自分を救うのは他人ではありません。自分自身の意思です。

人にアドバイスを受けて感動して頑張れたって人でも「その人のアドバイス」のみで頑張れてるわけではないんです。結局「自分の『頑張れる』という意思」で奮い立っているんですよ。100%その人のおかげで頑張れてるわけじゃないんです。60%くらいアドバイスのおかげです。

自分の足で地を踏みしめているという功績を自分で称えましょう。「よくやった俺」「今頑張れてるぞ」と自分で言い聞かせましょう。出来なかったらYouTubeで松岡修造の励ましを受けてください。

そういう期間は人をまともに見ちゃいけません。マジで孤独になる必要があります。

 

senedesumusu.hatenablog.com

 

 

それでも何かに失敗した。やっぱり自分はダメだ。

そう思ったときにおすすめなのが、「COMIC LO」です。毎月21日発売の「ロリコンロリコンによるロリコンのためのエロ漫画雑誌」です。しかも一冊700円というお買い得な値段。表紙にはエロ漫画雑誌とは思えないほど素敵な名言も載っています。気に入った言葉を筆で書き、部屋に貼っておきましょう。本当に元気が出てきます。そろそろ表紙を使ったカレンダーとかほしいですよね。マジで欲しい。今度茜新社に手紙でも出そうかな。

 

 

 

最後に、僕が好きなLOの表紙の名言を書いてこの記事は終わりにしたいと思います。

 

「孤独をつぶやくな。沈黙を誇れ」

自由恋愛の話

恋って結構不安定なものだよなぁって話。

 

おはようございます。僕です。

 

綺麗なものだけで構築された世界に行ってみたいです。鮭の皮とか。

 

 

恋愛が何でできているのか考えてみよう!

平野レミの料理企画みたいなタイトルになってしまいました。

でも、これくらいポップなほうがいいよね。いいよね。

 

まず、恋愛ってなんなんでしょう。例によって辞書で調べてみました。

 

「恋愛」は「(おたがいに)恋(コイ)をして、愛を感じるようになること」と記す。

そのうち「恋」は「人を好きになって、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」

「愛」は「1 〈相手/ものごと〉をたいせつに思い、つくそうとする気持ち」「2 恋(コイ)を感じた相手を、たいせつに思う気持ち」

 

めっちゃくちゃピュア。ヤバイ

どんな少女漫画よりも辞書が一番キュンとさせてくれました。

 なんだ辞書お前、淡々としてる文系キャラかよ。乙女ゲーで一人はいる敬語のメガネのやつかよ。

 

でもひねくれた考え方の僕にとっては、恋愛は「自分の欲求を満たすために人を巻き込んだ自己満足」としか思えないんです。

 

どんなに人のことを思って尽くそうと考えても、それは結局「自分が幸せな気分になれるから」なのであって、「大切な人のことを思っている」というわけではないのでは?

と思ったわけです。心身ともに醜い。

 

とにかく、意識の根底にどんな思惑があろうと、「相手を求め、相手に尽くしたい」という感情が「恋愛」の正体なんだと思います。

 

 

 なぜか物が多くなっていく部屋とTシャツと私

 僕はやたら物を収集する癖があるんですが、なんでだろうと考えたわけですよ。

旅行に行ったときに買った都会じゃ買えない地域限定のデザインのペットボトルとか、もう使ってない前のスマホカバーとか、食べ終わったココアシガレットの空き箱とか。

自分でも「なんで捨てないの?」って思うものが部屋中にあるんですよ。おかげで僕の部屋はがらくたの巣窟みたいになってます。

テレビとかの特集で見るようなゴミ屋敷ではないですが、それでも「物が溢れかえってる」という状態です。

 

 なぜそこまで部屋に物が多くなっていくのかなーって考えてたんですけど、完全に「自分の物」になるからだと思いました。

 「物」というのは所有権が明確になっているものが多いです。

 自分で稼いだ金は自分の口座に振り込まれ、自分で引き出すことができます。

 自分で買ったものは「自分のもの」なんですよね。当たり前ですけど。

 

で、「人」はどうでしょう。

これまた当たり前の話なんですけど、「所有権」というものがないんです。

人間には「誰のもの」ということがないんですよ。

まあ乙女ゲーとか少女漫画で「ダーメ、こいつは俺んのだし!」みたいなセリフがありますが、あれはちょっと僕の理解を超えてるので置いときます。

 

これが僕を不安にさせる原因の一つだと思ってます。

めちゃくちゃ気持ち悪い理由だった……ヤバい……気持ち悪い……

 

要するに、「所有権」が存在しないということは、「いつどこへ消えようとそれを咎める権利はない」ってことなんですよ。

浮気をしようと誰と駆け落ちをしようとそれはその人の「権利」であり「自由」です。僕がとやかく言うことではない。その人の意思を尊重しないということは、その人そのものを根本から否定していることの他ありません。

と、僕はそう考えています。

 

「物」には明確な所有権があり、それを主張することができますが、「人」にはそれがない。

「物を収集する」という行動は「(人とは違い)それはちゃんと自分のものである」という確信を得たいがために行っている……?

ということです。こっわ自分。

 

 

「自由恋愛」ができない僕の言い分

僕が恋愛において大切ことは「信頼」「理解」だと思っていますが、僕はこういう性格をしているので結婚するまで心に安寧は訪れないんだろうなあと思います。

結婚は恋愛における「信頼」を形にして契約するものであり、それはすなわち不明瞭な「恋愛」というものを文面化し、浮気や駆け落ちをされた際の「権利や契約の侵害」を主張できるということです。

こんなんだからモテねぇんだよ。

 

でも、僕は決して人を徹頭徹尾信用しないとか、金を貸すたびにいちいち借用書を作って拇印を押させるとかそういう人ではありません。お婆ちゃんちの乾燥若芽に誓ってそう言えます。

むしろ言われたことは全部信じるし、冗談のつもりで言われた約束を守って「え!?あれ冗談だよ!?」とか言われたことが多々あります。病気じゃん?

そういう些細なことなら僕は全部流せるし、多少ひどいひっかけにかけられても「ナハハ、こいつぅ〜」って言って全力でデコピンする程度で許します。

 

でも恋愛だけはダメなんですよ。

恋愛感情がからむ約束を破られるとめちゃくちゃ怒ります。

僕は待ち合わせ場所に一時間遅れようが二時間遅れようが来るなら許しますが、待ち合わせ時刻を過ぎてドタキャンなんかしようもんならそりゃもう阿修羅かヒトラーの怨霊かってレベルで怒りますよ。チンチロリンでイカサマをされた岸辺露伴くらいの剣幕で怒ります。

 

多分そういう思考回路の根底には「不安」が敷かれてるんだと思います。

僕は自己否定感情が強いので、いつも不安で仕方ないです。

おまけに周りの人からは「浮気っていうのはいつされてるかわかんねぇからなぁ」「裏でどんなことしててもしれっとした顔してるからわかんねぇんだよなぁ」とかそういう話をよく聞くので、僕はますます人の「恋愛感情」というものを疑っています。

どんなことをしてあげようが、どんな思いを抱いていようが、所詮は「感情」です。諸行無常です。変わらないということはありえないんです。ただの公園の砂絵にすぎないんです。

 

具体的な解決案などない

僕がこういうことを友達に話してると「お前は考えを改めろ」みたいなことを言われるんですよ。無理だよ。

 

こういうのは克服しようと思ってできるものではないんです。人によって食べ物の好き嫌いもあるし、暑がりな人や寒がりな人がいる。そういうことと一緒なんですよ。

僕は人に対し恋愛感情の絡んだ「信頼」がおけないというのはそういうものなんです。

 

だからもう「お前は考え方を改めろ」みたいなことはツイッターで言うなよ。無理だから。「無理だと思ってるから無理」とかそういう話じゃないねぇから。理解しろ。

 

 

そう、人と関わる上で大切なことは「人に対する適度な理解」と「干渉しすぎない礼儀」です。

 

人が「苦手なんですぅ……」って言ってるのにズケズケ人の心に釘バット片手に乗り込んできて「無理だと思うから無理なんだよ!」「経験が浅いからそういうことを言うんだ!」とか、鬼畜の所業外道の極みとか言っても許されるレベルでしょ。

だから人間が嫌いなんだよ!!!「理解した気でいる奴」が一番タチが悪いんだ!!!!お前が死ぬことが社会貢献になるんだよ!!!!!あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!

 

とにかく、僕はそういう人間だし、僕みたいな人間も一定数いると思いますが、そういう人には「恋愛はいいものだぞぉ〜?」とか「彼女とか可愛くて仕方ないからさぁ、お前も彼女作れよ」とか言わないであげてください。

最悪の場合玄関のドアに張り紙とか立ちションとか宗教のチラシが大量投入されると思ってください。それくらい嫌です。

 

 

あとそういう反論をしたら「知らねえよ」とか返すやつ、お前は一生喋るな。人に説教を垂れるな。来世は1000円自販機になって「うっわw外れたw」「マジで当たり入ってのかよw」とバカにされ続けてその生涯を終えろ。