箱とラジカセとぼく

思ったこととか思ったこととか書きます。くだらないことしか書いてないので気をつけて読んでください。記事に関する意見はTwitterでも受け付けてます。ID:@senedesumusu_

劣等感の話

劣等感からは逃げられないし、逃げれば逃げるほど苦しむって話

 

おはようございます。僕です。

 

仕事辞めてからずっと家とハローワークを往復してるだけの生活をしてると、時間がすごく余るんですよね。めちゃくちゃ時間があるんですよ。

つまり相対的に憂鬱になる時間が増えるわけです。考える時間があるというのはネガティブな人間にとっては本当に辛いです。マジに。

 

 

そもそも劣等感ってなにさ

例によって国語辞典で「劣等」を調べてみました。

「平均的な水準のものと比べて劣っていること。普通のものより劣っていることまた、そのさま」ということでした。

 

「劣等感」は

「自分が他より劣っているという感情」らしいです。

そのまんまだった。

 

自分は人より劣っている。それが辛い。なんで自分は人より劣っているんだろう。

そういった悩みの種になっている感情が劣等感です。自尊感情の低さからくるものが大体ですが、「自分の実力を認めているつもりだったが自分よりも実力ある人間が身近に現れたときの劣等感」については僕は何も言えません。自分に何か実力があると思えたことがないので。

 

要するに、「自分の実力を自分で認めることができないし、誰かに認めてもらう機会がない」という状態です。孤独が引き起こす症状の一つです。これに気づいてしまったとき、自分が一人ぼっちなんだなぁと切に感じる羽目になりました。本当に知らなくていいことを知ってしまった気分です。

 

劣等感を普段感じない人に向けて

僕は劣等感の塊というニックネームが日本で5番目くらいに似合う男ですが、普段劣等感を感じない人は劣等感丸出し人間の愚痴を聞くと、「もっと自信持ちなよ!」といって肩を叩く人が多いですよね。

まあ一部の人と重ちーとかはそれで「そうかなぁ!ありがとう!自信でてきたよ!」ってなるかもしれませんが、大抵の劣等感丸出し人間はネガティブなので「ああ……?この野郎……」「どうせ何もわかってねーんだろ……」とますます劣等感が強くなります。要するに「黙ってろこの能天気野郎」ということです。

 

アドバイスしてくれる人は善意か優越感に浸りたいかわからないですが、下手なアドバイスみたいなものをしないでください。劣等感の他に殺意が湧いてしまいます。

劣等感を背負ってる人も「鬱は甘え」みたいな考えの人にうっかり本音を漏らさないほうがいいです。理解できないものを排除し、「自分が出来るのだから他の人も出来るはず」という自信があるのかないのかわからない思考回路の人間に悩みを解決できるアドバイスができるわけがないのです。普段人のこと考えてるわけじゃない人間がたまに考えたってろくな結論になりません。触らないほうがいいです。

 

劣等感からは逃げられない

普段劣等感を負っている人は現実逃避のために何かをする傾向があります。僕もTwitterに一日中入り浸ってる人間のクズみたいな生活を送っています。

 

でもそれは無駄です。無駄だから嫌いなんだ。無駄無駄……

 

だってどんな方法をとったところで人と関わらなくてはいけないのが社会だからです。人間として最低限の文化的な生活を送るためにはどうやったって人とコミュニケーションをとり、自分の意思を伝えていかなくてはならないんです。

その中ではどうしても「人を見る」必要があるんです。無駄な思考が働き、ネガティブに寄っていき、背中に背負った劣等感がますます重くなる。必然なんですよね。

僕もTwitterに入り浸って好き勝手言って鬱憤を晴らそうとしていましたが逆効果でした。人の活動を見て劣等感が増したんです。鬱憤を晴らすどころか、むしろ「他の人がこんなに素晴らしい作品を生み出している間、俺は一体何をやってるんだ。今何をやっていたんだ」という意識に囚われ、胸を掻き毟りたくなりました。そしてその劣等感を晴らすために、またTwitterで好き勝手言ってるんです。「星の王子様」の飲んだくれかよ。自己矛盾のループかよ。

このブログだって書いてるの午前四時なんですよ?普通の人だったらとっくに就寝してるときに自分はなに自己嫌悪の掃き溜めみたいなものを書いてるんだって思いません?地獄じゃないですか?

 

 

こうして逃げようとすればするほど、本当に「ダメな奴」になっていくんです。

まず逃げようとしてる時点でダメ人間のスタートは切ってるんですが。

劣等感とは即ち「他の人間が羨ましくて疎ましい。そう思う自分もなんてダメな奴なんだ」という負のループどころか負の地獄へ真っ逆さまに落ちてるような状態なんですけど、逃げられるものじゃないんですよね。穴に落ちているのに上に向かって空気を必死に掻いたって上に上がれるわけじゃないんです。その方法で助かるのは「かいけつゾロリ」くらいしかないですよ。

むしろ逃げようとすればするほど深く落ちていくんです。蟻地獄みたいな感じです。

 

自分でなんとかするしかない

結局「劣等感」はどこにあると思いますか。

他の人の心の中ですか。排水溝の口にひっかかってますか。探し物はなんですか。見つけにくいものですか。カバンの中も机の中も探したけれど見つかりませんか。

 

自分の脳みそのに中にあるんですよね。

だから人に相談したって無駄なんですよ。まあ人に相談して劣等感を感じない人は「人に相談する」ってのも手だとは思いますけど。

 

どんなに逃げようとしたって常に思考は動いてます。自分の意思とは関係なしに。自分から逃げられる人はいません。疎ましく思ってる感情こそが手であり足であるのですから。

自分からは逃げられない。でもどうしたらいいんだ。逃げる以外の方法が思いつかない。俺はジョセフじゃねぇんだよ。色んな策は思いつかないんだよ。最終手段の「逃げるんだよォ〜〜〜!!」で逃げられるもんじゃないんだよ。

 

僕が見つけた答えは「人から離れて何かに熱中すること」です。

何か趣味に没頭するもよし、山にでも行って修行するもよし、散歩するもよし。

僕は天気の良い日にベランダに出て一日中雲を眺めて過ごしていました。定年後の無趣味のじじいかよ。

 

一日中雲を眺めていたら、なんだか詩的な何かが書けそうで晴れやかな気持ちになりました。劣等感が完全に消えたわけではないので、種火が残ってくすぶってる火のような感じですが。

 

これも一種の「逃げ」ですが、僕は少しだけ、マジで足の親指一本分だけ何か前進できたような気がしました。自分の中で何かの「達成感」を持つということが大事なんです。

 

どんなクソみたいなラノベを書いていたって、「挫折して途中でやめる人間」と「諦めずに考え書き続けて完結させた人間」とは天と地ほどの差があります。

普通、文庫化するには約10万字程度必要になります。僕もカクヨムショートショートを書いていますが、まだ合計1万字ちょっとです。僕は「コンテストで入賞した人」の前にまず「10万字書いてコンテストに投稿してる人」を尊敬してます。本当にすごいことをやっているなと思います。このブログだってここまで書いてたったの2700字ちょっとですよ?そう考えると10万字ってめちゃくちゃすごくないですか?尊敬しちゃいますよね。

 

 

辛い時はエロ本でも読んでろ

他の記事でももう言ってると思いますけど、結局自分を救うのは他人ではありません。自分自身の意思です。

人にアドバイスを受けて感動して頑張れたって人でも「その人のアドバイス」のみで頑張れてるわけではないんです。結局「自分の『頑張れる』という意思」で奮い立っているんですよ。100%その人のおかげで頑張れてるわけじゃないんです。60%くらいアドバイスのおかげです。

自分の足で地を踏みしめているという功績を自分で称えましょう。「よくやった俺」「今頑張れてるぞ」と自分で言い聞かせましょう。出来なかったらYouTubeで松岡修造の励ましを受けてください。

そういう期間は人をまともに見ちゃいけません。マジで孤独になる必要があります。

 

senedesumusu.hatenablog.com

 

 

それでも何かに失敗した。やっぱり自分はダメだ。

そう思ったときにおすすめなのが、「COMIC LO」です。毎月21日発売の「ロリコンロリコンによるロリコンのためのエロ漫画雑誌」です。しかも一冊700円というお買い得な値段。表紙にはエロ漫画雑誌とは思えないほど素敵な名言も載っています。気に入った言葉を筆で書き、部屋に貼っておきましょう。本当に元気が出てきます。そろそろ表紙を使ったカレンダーとかほしいですよね。マジで欲しい。今度茜新社に手紙でも出そうかな。

 

 

 

最後に、僕が好きなLOの表紙の名言を書いてこの記事は終わりにしたいと思います。

 

「孤独をつぶやくな。沈黙を誇れ」

自由恋愛の話

恋って結構不安定なものだよなぁって話。

 

おはようございます。僕です。

 

綺麗なものだけで構築された世界に行ってみたいです。鮭の皮とか。

 

 

恋愛が何でできているのか考えてみよう!

平野レミの料理企画みたいなタイトルになってしまいました。

でも、これくらいポップなほうがいいよね。いいよね。

 

まず、恋愛ってなんなんでしょう。例によって辞書で調べてみました。

 

「恋愛」は「(おたがいに)恋(コイ)をして、愛を感じるようになること」と記す。

そのうち「恋」は「人を好きになって、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」

「愛」は「1 〈相手/ものごと〉をたいせつに思い、つくそうとする気持ち」「2 恋(コイ)を感じた相手を、たいせつに思う気持ち」

 

めっちゃくちゃピュア。ヤバイ

どんな少女漫画よりも辞書が一番キュンとさせてくれました。

 なんだ辞書お前、淡々としてる文系キャラかよ。乙女ゲーで一人はいる敬語のメガネのやつかよ。

 

でもひねくれた考え方の僕にとっては、恋愛は「自分の欲求を満たすために人を巻き込んだ自己満足」としか思えないんです。

 

どんなに人のことを思って尽くそうと考えても、それは結局「自分が幸せな気分になれるから」なのであって、「大切な人のことを思っている」というわけではないのでは?

と思ったわけです。心身ともに醜い。

 

とにかく、意識の根底にどんな思惑があろうと、「相手を求め、相手に尽くしたい」という感情が「恋愛」の正体なんだと思います。

 

 

 なぜか物が多くなっていく部屋とTシャツと私

 僕はやたら物を収集する癖があるんですが、なんでだろうと考えたわけですよ。

旅行に行ったときに買った都会じゃ買えない地域限定のデザインのペットボトルとか、もう使ってない前のスマホカバーとか、食べ終わったココアシガレットの空き箱とか。

自分でも「なんで捨てないの?」って思うものが部屋中にあるんですよ。おかげで僕の部屋はがらくたの巣窟みたいになってます。

テレビとかの特集で見るようなゴミ屋敷ではないですが、それでも「物が溢れかえってる」という状態です。

 

 なぜそこまで部屋に物が多くなっていくのかなーって考えてたんですけど、完全に「自分の物」になるからだと思いました。

 「物」というのは所有権が明確になっているものが多いです。

 自分で稼いだ金は自分の口座に振り込まれ、自分で引き出すことができます。

 自分で買ったものは「自分のもの」なんですよね。当たり前ですけど。

 

で、「人」はどうでしょう。

これまた当たり前の話なんですけど、「所有権」というものがないんです。

人間には「誰のもの」ということがないんですよ。

まあ乙女ゲーとか少女漫画で「ダーメ、こいつは俺んのだし!」みたいなセリフがありますが、あれはちょっと僕の理解を超えてるので置いときます。

 

これが僕を不安にさせる原因の一つだと思ってます。

めちゃくちゃ気持ち悪い理由だった……ヤバい……気持ち悪い……

 

要するに、「所有権」が存在しないということは、「いつどこへ消えようとそれを咎める権利はない」ってことなんですよ。

浮気をしようと誰と駆け落ちをしようとそれはその人の「権利」であり「自由」です。僕がとやかく言うことではない。その人の意思を尊重しないということは、その人そのものを根本から否定していることの他ありません。

と、僕はそう考えています。

 

「物」には明確な所有権があり、それを主張することができますが、「人」にはそれがない。

「物を収集する」という行動は「(人とは違い)それはちゃんと自分のものである」という確信を得たいがために行っている……?

ということです。こっわ自分。

 

 

「自由恋愛」ができない僕の言い分

僕が恋愛において大切ことは「信頼」「理解」だと思っていますが、僕はこういう性格をしているので結婚するまで心に安寧は訪れないんだろうなあと思います。

結婚は恋愛における「信頼」を形にして契約するものであり、それはすなわち不明瞭な「恋愛」というものを文面化し、浮気や駆け落ちをされた際の「権利や契約の侵害」を主張できるということです。

こんなんだからモテねぇんだよ。

 

でも、僕は決して人を徹頭徹尾信用しないとか、金を貸すたびにいちいち借用書を作って拇印を押させるとかそういう人ではありません。お婆ちゃんちの乾燥若芽に誓ってそう言えます。

むしろ言われたことは全部信じるし、冗談のつもりで言われた約束を守って「え!?あれ冗談だよ!?」とか言われたことが多々あります。病気じゃん?

そういう些細なことなら僕は全部流せるし、多少ひどいひっかけにかけられても「ナハハ、こいつぅ〜」って言って全力でデコピンする程度で許します。

 

でも恋愛だけはダメなんですよ。

恋愛感情がからむ約束を破られるとめちゃくちゃ怒ります。

僕は待ち合わせ場所に一時間遅れようが二時間遅れようが来るなら許しますが、待ち合わせ時刻を過ぎてドタキャンなんかしようもんならそりゃもう阿修羅かヒトラーの怨霊かってレベルで怒りますよ。チンチロリンでイカサマをされた岸辺露伴くらいの剣幕で怒ります。

 

多分そういう思考回路の根底には「不安」が敷かれてるんだと思います。

僕は自己否定感情が強いので、いつも不安で仕方ないです。

おまけに周りの人からは「浮気っていうのはいつされてるかわかんねぇからなぁ」「裏でどんなことしててもしれっとした顔してるからわかんねぇんだよなぁ」とかそういう話をよく聞くので、僕はますます人の「恋愛感情」というものを疑っています。

どんなことをしてあげようが、どんな思いを抱いていようが、所詮は「感情」です。諸行無常です。変わらないということはありえないんです。ただの公園の砂絵にすぎないんです。

 

具体的な解決案などない

僕がこういうことを友達に話してると「お前は考えを改めろ」みたいなことを言われるんですよ。無理だよ。

 

こういうのは克服しようと思ってできるものではないんです。人によって食べ物の好き嫌いもあるし、暑がりな人や寒がりな人がいる。そういうことと一緒なんですよ。

僕は人に対し恋愛感情の絡んだ「信頼」がおけないというのはそういうものなんです。

 

だからもう「お前は考え方を改めろ」みたいなことはツイッターで言うなよ。無理だから。「無理だと思ってるから無理」とかそういう話じゃないねぇから。理解しろ。

 

 

そう、人と関わる上で大切なことは「人に対する適度な理解」と「干渉しすぎない礼儀」です。

 

人が「苦手なんですぅ……」って言ってるのにズケズケ人の心に釘バット片手に乗り込んできて「無理だと思うから無理なんだよ!」「経験が浅いからそういうことを言うんだ!」とか、鬼畜の所業外道の極みとか言っても許されるレベルでしょ。

だから人間が嫌いなんだよ!!!「理解した気でいる奴」が一番タチが悪いんだ!!!!お前が死ぬことが社会貢献になるんだよ!!!!!あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!

 

とにかく、僕はそういう人間だし、僕みたいな人間も一定数いると思いますが、そういう人には「恋愛はいいものだぞぉ〜?」とか「彼女とか可愛くて仕方ないからさぁ、お前も彼女作れよ」とか言わないであげてください。

最悪の場合玄関のドアに張り紙とか立ちションとか宗教のチラシが大量投入されると思ってください。それくらい嫌です。

 

 

あとそういう反論をしたら「知らねえよ」とか返すやつ、お前は一生喋るな。人に説教を垂れるな。来世は1000円自販機になって「うっわw外れたw」「マジで当たり入ってのかよw」とバカにされ続けてその生涯を終えろ。

情けの話

責任を負いたくないなら優しくするなって話です。

 

おはようございます。日々が憂鬱です。僕です。

 

この間お昼の情報番組を見てたら、「増え続ける捨て猫の問題」ってテーマで討論してまして、「なぜ増え続けるか」って話をしてたんですよ。

専門家は「通りすがりの人が一時の感情に流されて餌をあげてしまう」ってことが原因の一端だって言ってたんですよね。

確かにひどいエゴだと思いましたよ。だって「あげた後のこと」を全く考えてないんですもん。

それで近隣の人が糞尿被害に遭っても知らんぷりですよ。

 

これ、人間にも同じ現象があると思うんですよね。

ていうかある。

 

童貞はなぜ勘違いして暴走しがちなのか

 

「童貞が勘違いしてきもーいw」とか言ってる◯◯の姫みたいな人、身の回りにいませんか?いなかった人は探してください

 

なぜそのような悲しい事象が起こってしまうか、少し考えてみましょう。

まず、なぜ童貞はその姫を好きになったのか。

 

そう、「期待を持たせるような行動をとったから」です。

約8割の童貞はこのパターンで事故ります。

2割のハードな童貞は勝手に勘違いし暴走しますが、こいつらは今回見なかったことにします。あいつらは死んだ。

 

(友達として)結構好きだよ」「へー!いいもの持ってるじゃん!どこで買ったか教えて!私も買う!」「◯◯くんの昔の話とか興味あるかもー!」とか言ってくるやつ、いませんか。

いたらそいつとは会話をしないか、会話するとしても「エアソフトガンの初速は何m/sまでだったか」とかを考えてればいいです。悪魔ですからあいつらは。

 

そんな言動の一つ一つが童貞を悪路へと落としていくんです。

今まで生きてきて一度も言われたことがないことを言われたんですよ。恋愛経験がなければ学習することもできない。こうなるのは当たり前のことなんですよ。

 

悲しい。悲しすぎる。なんでこんな悲しいことになるんだ。

 

 

無用な情けはかけるな

なぜこういうことになるのか、僕なりに思い出して考えてみました。

 

以前僕は交際経験の多い女友達に「なんでそんないっぱい彼氏が出来るの?」と聞いてみました。

そしたら彼女は「モテなさすぎて可哀想になってた人に優しくしてたらあっちが告白してきた」と答えました。百戦錬磨の童貞ハンターだったんだと思います。なんなんだこいつ。

 

要するに彼女は「可哀想で情けをかけてたら告白してきた」というわけです。

 

こっっっっっっっわ!!!!!!!

 

「お情け」で優しくされたというのに、それが自分だけに向けられた特別な感情であると信じ込み、告白までしているんです。

この女友達は気持ち悪がることなく交際していたのでまだいい方ですが、Twitterでよくみる恋愛のもつれは「勘違いしてきたwマジキモw」みたいな態度です。

残酷にもほどがある。

 

そういうドス黒い感情を誰でも持っているというのがさらに輪をかけて恐ろしいところですね。本当に怖いのは幽霊でも13日の金曜日に宿泊者を襲う殺人鬼でもなく、マックで喋っている女子高生です。

 

まだ恋愛っていう意味で情けをかけられて勘違いして暴走するっていうタイプなら「失恋しておしまい」ってオチがつきますが、これが「友達」って意味で勘違いをするとさらに深い穴に落ちて長い間うずくまることになります。

 

「何もない人」に「優しさ」を差し出すな

僕みたいな人に安い優しさを向けちゃいけないってことです。

 

通りすがりの人が捨て犬に二、三度餌をやるとどうなるか。

犬は「餌を待つ」ようになります。犬は「餌を求める」ようになります。

「自分は何も持ってない」と思ってる人に優しさを向けるのも同じことです。

 

その人は「優しさ」の味を噛み締め、「優しさ」を求めるようになります。

「もっと自分と話して」「もっと自分と笑って」「もっと自分を求めて」と際限なく欲望は膨らみ、その度に応えてしまうと「友達」に認定されるわけです。

 

中途半端な情を向け、その人を理解しないまま優しさを差し出し続けると大変なことになります。他の友好関係を壊されたり、自分のプライベートがなくなりかねません。

 

その人にとって「優しさをくれる人は友達」なわけです。

だから人はそれに依存してしまうんですね。「その人しかいない」わけですから。

何をするにも「友達」が気になってしまい、独占欲を燃やす。

優しさを差し向けた人は迷惑をこうむり、避けようとする。

さらにその人は「友達」を追いかける。負のループです。

 

そして限界がきて怒ると、「友達じゃなかったのか!」「なんであんなに優しくしてくれたんだ!」と逆ギレされ、泥沼へ入っていきます。

 

僕もいじめられてたことがあったのでわかるんですが、本当に「自分は世界で一人なんだ」と思うんですよ。誰も自分の気持ちをわかってくれない。理解しようともしない。

そんな時に声をかけてくれる人がいれば、もうそれにすがるしかないんです。

 

無責任な優しさは人を壊しかねない暴力になりえるんですよ。

義理を通すなら最後までやれ。

友達だと思うならちゃんと正してやれよ。頼むから。

 

情けをかけないのは「お互いのため」

僕がおおっぴらにこう言うと「お前には血も涙もないのか!このゴミクズ野郎!豚骨の出がらし以下の汚物が!!」という人もいると思います。

 

勘違いしないでほしい。僕は上記の通りの惨状を見たことがあるから言ってるんです。

ガチのノンフィクション。

人に倫理を説くなら人の黒い部分から目を背けるなということです。

何の関係もない何の責任もない人がとやかく言うのは本当にバカバカしいことなんですよ。だって本当に目の前であったことに対して非難しているわけではないんですから。

 

「優しさを向けられない可哀想な人」もいれば「下手な優しさを向けてしまったが故に大変な被害にあってしまった人」だっています。

結果、どっちも可哀想になっただけなんです。

 

頭ごなしに情に任せてガヤガヤ言う人は「下手な優しさを向けてしまう人」なのかもしれません。そんな人を見たら優しくスルーしてあげましょう。痛い目みろ。

 

 

 

とにかく、「体裁のために」「正義感のために」「可哀想だから」と孤独な人に下手な優しさを差し出さないでください。それは人を、友達をバカにしてるのと同じことです。わからない人は本屋さんで倫理の教科書とニーチェの本でも買って3周読んでください。