責任を負いたくないなら優しくするなって話です。
おはようございます。日々が憂鬱です。僕です。
この間お昼の情報番組を見てたら、「増え続ける捨て猫の問題」ってテーマで討論してまして、「なぜ増え続けるか」って話をしてたんですよ。
専門家は「通りすがりの人が一時の感情に流されて餌をあげてしまう」ってことが原因の一端だって言ってたんですよね。
確かにひどいエゴだと思いましたよ。だって「あげた後のこと」を全く考えてないんですもん。
それで近隣の人が糞尿被害に遭っても知らんぷりですよ。
これ、人間にも同じ現象があると思うんですよね。
ていうかある。
童貞はなぜ勘違いして暴走しがちなのか
「童貞が勘違いしてきもーいw」とか言ってる◯◯の姫みたいな人、身の回りにいませんか?いなかった人は探してください
なぜそのような悲しい事象が起こってしまうか、少し考えてみましょう。
まず、なぜ童貞はその姫を好きになったのか。
そう、「期待を持たせるような行動をとったから」です。
約8割の童貞はこのパターンで事故ります。
2割のハードな童貞は勝手に勘違いし暴走しますが、こいつらは今回見なかったことにします。あいつらは死んだ。
「(友達として)結構好きだよ」「へー!いいもの持ってるじゃん!どこで買ったか教えて!私も買う!」「◯◯くんの昔の話とか興味あるかもー!」とか言ってくるやつ、いませんか。
いたらそいつとは会話をしないか、会話するとしても「エアソフトガンの初速は何m/sまでだったか」とかを考えてればいいです。悪魔ですからあいつらは。
そんな言動の一つ一つが童貞を悪路へと落としていくんです。
今まで生きてきて一度も言われたことがないことを言われたんですよ。恋愛経験がなければ学習することもできない。こうなるのは当たり前のことなんですよ。
悲しい。悲しすぎる。なんでこんな悲しいことになるんだ。
無用な情けはかけるな
なぜこういうことになるのか、僕なりに思い出して考えてみました。
以前僕は交際経験の多い女友達に「なんでそんないっぱい彼氏が出来るの?」と聞いてみました。
そしたら彼女は「モテなさすぎて可哀想になってた人に優しくしてたらあっちが告白してきた」と答えました。百戦錬磨の童貞ハンターだったんだと思います。なんなんだこいつ。
要するに彼女は「可哀想で情けをかけてたら告白してきた」というわけです。
こっっっっっっっわ!!!!!!!
「お情け」で優しくされたというのに、それが自分だけに向けられた特別な感情であると信じ込み、告白までしているんです。
この女友達は気持ち悪がることなく交際していたのでまだいい方ですが、Twitterでよくみる恋愛のもつれは「勘違いしてきたwマジキモw」みたいな態度です。
残酷にもほどがある。
そういうドス黒い感情を誰でも持っているというのがさらに輪をかけて恐ろしいところですね。本当に怖いのは幽霊でも13日の金曜日に宿泊者を襲う殺人鬼でもなく、マックで喋っている女子高生です。
まだ恋愛っていう意味で情けをかけられて勘違いして暴走するっていうタイプなら「失恋しておしまい」ってオチがつきますが、これが「友達」って意味で勘違いをするとさらに深い穴に落ちて長い間うずくまることになります。
「何もない人」に「優しさ」を差し出すな
僕みたいな人に安い優しさを向けちゃいけないってことです。
通りすがりの人が捨て犬に二、三度餌をやるとどうなるか。
犬は「餌を待つ」ようになります。犬は「餌を求める」ようになります。
「自分は何も持ってない」と思ってる人に優しさを向けるのも同じことです。
その人は「優しさ」の味を噛み締め、「優しさ」を求めるようになります。
「もっと自分と話して」「もっと自分と笑って」「もっと自分を求めて」と際限なく欲望は膨らみ、その度に応えてしまうと「友達」に認定されるわけです。
中途半端な情を向け、その人を理解しないまま優しさを差し出し続けると大変なことになります。他の友好関係を壊されたり、自分のプライベートがなくなりかねません。
その人にとって「優しさをくれる人は友達」なわけです。
だから人はそれに依存してしまうんですね。「その人しかいない」わけですから。
何をするにも「友達」が気になってしまい、独占欲を燃やす。
優しさを差し向けた人は迷惑をこうむり、避けようとする。
さらにその人は「友達」を追いかける。負のループです。
そして限界がきて怒ると、「友達じゃなかったのか!」「なんであんなに優しくしてくれたんだ!」と逆ギレされ、泥沼へ入っていきます。
僕もいじめられてたことがあったのでわかるんですが、本当に「自分は世界で一人なんだ」と思うんですよ。誰も自分の気持ちをわかってくれない。理解しようともしない。
そんな時に声をかけてくれる人がいれば、もうそれにすがるしかないんです。
無責任な優しさは人を壊しかねない暴力になりえるんですよ。
義理を通すなら最後までやれ。
友達だと思うならちゃんと正してやれよ。頼むから。
情けをかけないのは「お互いのため」
僕がおおっぴらにこう言うと「お前には血も涙もないのか!このゴミクズ野郎!豚骨の出がらし以下の汚物が!!」という人もいると思います。
勘違いしないでほしい。僕は上記の通りの惨状を見たことがあるから言ってるんです。
ガチのノンフィクション。
人に倫理を説くなら人の黒い部分から目を背けるなということです。
何の関係もない何の責任もない人がとやかく言うのは本当にバカバカしいことなんですよ。だって本当に目の前であったことに対して非難しているわけではないんですから。
「優しさを向けられない可哀想な人」もいれば「下手な優しさを向けてしまったが故に大変な被害にあってしまった人」だっています。
結果、どっちも可哀想になっただけなんです。
頭ごなしに情に任せてガヤガヤ言う人は「下手な優しさを向けてしまう人」なのかもしれません。そんな人を見たら優しくスルーしてあげましょう。痛い目みろ。
とにかく、「体裁のために」「正義感のために」「可哀想だから」と孤独な人に下手な優しさを差し出さないでください。それは人を、友達をバカにしてるのと同じことです。わからない人は本屋さんで倫理の教科書とニーチェの本でも買って3周読んでください。
そんな「優しさの暴力」を振るうやつに鯨包丁叩き込んで更生させてやる。死ね
— 配達員@ダンボール箱P (@senedesumusu) 2016年12月15日